羽柴秀次「水争い裁きの像」

羽柴秀次像

滋賀県近江八幡市内を散策してきました。目的は、“豊禅閤”(←関白になった人が職を子に譲った者を“太閤”と言い、出家した者を“禅閤”と敬称します。秀次関白職を剥奪され、高野山に入山していますからね…)または“文の君”(←五山文学などを奨励し、古典籍などの補修に尽力したので、こう呼ばれていた!…確か毛利氏関係の古文書に記載されていました)羽柴関白左大臣従二位豊臣朝臣秀次公(←羽柴は名字で、豊臣は本姓なので、秀次は死ぬまで“羽柴秀次”のままです)の銅像を撮影するためです。

まずは最初の目的地に!という事でJR東海道線の篠原駅で下車。そこから桐原橋を目標に東に向かって行ったのですが、見当たらない…

あれっ?間違えたのかな!と思いつつ、日野川沿いを南下してゆくと、橋を発見!しかも銅像らしき姿も見えています…

ようやく見つけました!桐原橋ではなくて、桐原新橋でした。(うっかりです 笑)

帰宅してから地図で確認したら、桐原新橋ってちょうど在来線と新幹線の間に架かっている橋なんですね。篠原駅から東に向かって最初の筋を右折(=南に下りれば)一番の近道でした(爆)

さて、滋賀県域の湖東地方を流れている日野川は、台風などの大雨で警戒水位を越すことが多い天井川の構造をしています。

水裁きを訴えた庄屋像

農業用水をはじめ生活用水の全てを日野川の恵みに依存していた日野川下流域の邇保郷(現在の滋賀県近江八幡市江頭町、小田町、十王町)と上流域の桐原郷(現在の滋賀県近江八幡市安養寺町・東・古川・森尻・中小森・池田・竹の7か村)の両村の間で天正14年(1586)、渇水による水争いが起こり、流血の騒動にまで発展しました。
其郷井水之事、従先規證(証)文共披見候、然者於申分者無紛候間、如前々申付候訖、若違乱之在所者可為曲事也
天正拾四年
    七月廿四日  秀次(花押)
        邇保郷
           名主百姓中
事態を憂慮した邇保郷の江頭・十王両村の庄屋が、八幡城主だった秀次に争いの裁きを直訴した結果、秀次自身が家老の田中吉政を伴って自ら現地を視察し、双方の言い分に耳を傾け、お互いが納得できる裁定を天正14年(1586)7月24日付で下しました。この銅像は、その故事から「水争い裁きの像」として建てられたものです。

豊臣秀次像

その後は歩いて近江八幡駅まで行き、近江鉄道バスに乗車し、八幡堀を通過して、次なる目的地の八幡公園へ。

八幡公園には 豊臣秀次の銅像が立っています。こちらは束帯姿秀次なので、こちらは「豊臣秀次像」。前述した方は「羽柴秀次像」と分けて覚えたらいいでしょうね。

今回の目的はこれだけだってので、近江鉄道バスに乗車して駅に向かい帰途に着きました。およそ往復5時間の散策でした。


   

この記事へのコメント

  • 御堂

    ばるーん2号さん、こんにちは!

    >小早川秀秋には羽柴秀行という子供がいて、その子孫は現在は大阪で暮らしている…その情報をどこで知ったのですか?

    当ブログの「『五大老』展」をご覧下さい。下の方でその情報が書かれた新聞記事を貼り付けてありますので…

    http://sans-culotte.seesaa.net/article/17326684.html
    2007年10月17日 15:54
  • ばるーん2号

    徒然日記、と言うブログで、小早川秀秋には羽柴秀行という子供がいて、その子孫は現在は大阪で暮らしている、と言うコメントをしていましたが、その情報をどこで知ったのですか?? 気になるので教えてください!!
    2007年10月17日 13:09
  • 元康

    近江八幡には秀次の銅像が2つ立っているのですね。
    さらに「水争い裁きの像」まであるとは・・・
    功績がしっかり称えられている場所があるのは喜ばしいですね^^
    この水争いの裁定も、家臣まかせではなく自ら現地に出向いた
    というところに、内政に対する秀次の真摯な姿勢が現れていますね。
    2007年05月08日 18:37
  • 御堂

    小林さま、こんばんは。

    近江八幡市中小森町でいらっしゃったんですね。とんだ的外れな事を言ってしまい申し訳ありません。

    検索をかけたら、
    http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/2006/3/20/0320dg00.pdf
    に詳しく掲載されていました。

    自分の“まち”に誇れる偉人がいるのっていいですよね。

    大いなる成果が挙がる事を祈っております。
    2006年04月24日 04:14
  • 小林

     早速、コメントいただいておりますのに気がつかず大変失礼しました。「中小森町歴史と緑のまちづくり委員会」に属しています。先程まで委員長と会則の細部の詰めをしておりまして、検索し気がついたようなことです。
     滋賀県におきましては、『近隣景観形成協定事業「まちづくり委員会」』を結成し、県と協定を結びまちづくり活動を行うことにより、県と市から補助していただける制度があり全県で  件、本市(近江八幡市)で16件目に協定締結いたものです。規約の目的で「先人達が育んでこられたすばらしい風景を、次世代に引き継ぐためと、熊沢蕃山先生の遺徳に学び、環境を重んじたまちづくり」をうたっています。ご指摘のとおり熊沢蕃山先生は名言を数多く残されておられるようで・勉強不足で今の時点でこのような表現しかできません。又、ご指摘のように「まちおこし」「むらおこし」の一環です。このようなことでさしさわりがありましたら削除願います。小林
    2006年04月23日 19:11
  • 来夢来人

    小林さま、来訪ありがとうございます。

    石碑の由来は正直言って、碑文に書かれた内容を読み取る事ができなかったものですから、秀次に関する著書を洗いざらい紐解いて書いたので、お見苦しい限りです。

    熊沢蕃山は名前は聞いた事がありますが、あまり詳しいとは言えません。でも、陽明学者の中江藤樹の弟子に当たる人で、「為せばなる/為さねば成らぬ/何事も/成らぬは人の/為さぬなりけり」という名言を残された人だと改めて知りました。

    ネットで色々と検索しましたが、小林さまは「池田本町まちづくり委員会」の方なのでしょうか?

    これも1つの“まちおこし”ですね。
    2006年03月27日 21:45
  • 小林

     記事作成(会員用)に重複しますが、なにもわからない者で失礼します。
     「羽柴秀次『水争い裁きの像』」拝見させていただきました。近くに生まれ育った者す。
     歴史的な記述をされていますが、私もそのように聞いています。「桐原小橋」とも言っています。
     「宮崎道生先生」著書によりますと、江戸時代の陽明学者「熊沢蕃山先生」が青年期一時期過ごされた「桐原村・中小森」に居しています。新年度より「熊沢蕃山先生」にあやかり「まちづくり」活動を町内で始めます。 「熊沢蕃山先生」について教えていただくことがありましたら、よろしくお願いいたします。小林          
    2006年03月25日 20:59

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