豊臣体制論ノート(2)―「在京賄料」について―

豊臣体制による諸大名への支配構造を端緒に示す史料で、天正19年(1591)3月13日付小早川隆景宛豊臣秀吉朱印状を照会し、その特徴として、20万石の軍役分の知行と、10万4300石の無役分の知行が存在する事を挙げました。

今回は、同史料で「此内五万石 在京料」と記載されている「在京賄料」について記します。

公儀(=ここでは豊臣体制を指します)から戦陣や城普請などに動員をかけるときの基準となる知行である軍役分に対し、無役分とは、諸大名が自分の裁量で賄える知行分をいいます。

小早川隆景の無役分10万4300石で「此内五万石 在京料」とあるのは、単純に言えば自国の所領から京都や大坂・伏見に参勤してきた際の交通費用、滞在費用を捻出できる所領を与えられた事になります。

但し、注意すべきはこの「在京賄料」はあくまで公儀(豊臣体制)から拝領した領地である事を忘れてはいけません。

すなわち、この「在京賄料」では京都や大坂・伏見の物価で対応しなければならないのです。

極端な例えで言えば、自国の所領から京都や大坂・伏見に参勤し諸役奉公のため越年するとして、その滞在費用(衣食住に関わる費用)などを「在京賄料」から捻出しなければならない訳ですが、その支出額は京都及び上方の物価で考えないとダメなのです。

この事は、江戸幕府による幕藩体制下での参勤交代制度が諸大名たちにとって、全くの自腹で切り盛りしなければならなかった事例と比較すると、あたかも豊臣体制の力加減ががどのようなものであったかを図り知る1つの方法でもあります。

また、文禄年間以降、豊臣体制による太閤検地で新たに領知目録を宛行われた諸大名などには、この「在京賄料」の利点を活かし、「蔵入地」が設定されるのです。

諸大名にとって、自国の所領に「在京賄料」と同じ機能を示す「蔵入地」が設置されるという事は、例えばAという領主が公儀(豊臣体制)から「領内の蔵入地で木材を購入せよ」との命令書が届くとします。Aにとっては領内の蔵入地じゃない場所で購入すれば安値で買えるのですが、「領内の蔵入地で」と命令・指示されている以上、ここで購入せざるを得ません。

しかも、豊臣体制の吏僚たち(石田三成や山口玄蕃など)が代官として配属されていますので、経済的圧迫は目に見えて明らかです。

現実に、徳川家康は関ヶ原の合戦以降、自分に味方した領主たちの所領にある、或いはなくしたり、或いは改めて所領安堵しています。領主たちの苦しみを解放してやる事で後の江戸幕府による各領主に自治権を認めたうえで成立する幕藩体制が整う訳ですね。

逆に言えば、こうした「在京賄料」「蔵入地」が徳川家康が亡くなるまでの間に残存していた地域こそ、「俺たちは豊臣体制の支配のままでいいんだ」と思ってた領主にほかならないと言えます。

代表的な事例として、島津氏への領知宛行にみる「在京賄料」を見ることにします。

在京賄料、於摂州播州内壱万石目録別帋有之、事、宛行訖、全可有領知之状如件、
    天正十六
       七月五日(秀吉花押)
          嶋津修理大夫人道とのへ
と、摂津国(現在の大阪府・兵庫県の一部)・播磨国(現在の兵庫県内)に1万石の知行を宛行われています。

このうち、播磨国に設けられた「在京賄料」について面白い例を1つ―

田中耕一さんという人物を憶えていますか?

平成12年(2002)にノーベル化学賞を受賞された方ですが、この田中耕一さんが社員として勤務されておられる会社は島津製作所といって、精密機器、計測器、医療機器などのメーカーです。本社は京都市中京区にあります。(個人的な話ですが、僕が通っていた大学の帰り道にこの会社の前をよく通ってました 笑)

この島津製作所の社章は島津家と同じ「丸に十文字」だったりするのですが、これには由縁があって―

島津製作所の創業者である初代・島津源蔵の祖先・井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から「丸に十文字」の家紋と「島津」の姓を賜与られたのが始まりだそうです。

事の顛末は、島津義弘が、伏見から帰国する途上、播磨国姫路の領地に立ち寄りました。その際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一が領地の検分などを助力したので、それに対する褒美として「丸に十文字」の家紋と「島津」の姓を賜与られた―

というんですね。島津氏が天正16年(1588)に支給された「在京賄料」のうち、播磨国における分を確認すると、
  • 一乃保村(揖保郡新宮町)
  • 旦の上村(揖保郡新宮町)
  • 竹嶋(揖保郡揖保川町)
  • 蓮城寺村(揖保郡太子町)
  • 坂の上村(姫路市)
  • 福地村(太子町)

の6か村3097石5斗を確認する事ができ、さらに文禄4年(1595)の検地によって、
  • 揖東郡福地村
  • 蓮城寺村
  • 岩見講(揖保郡太子町)
  • 大市郷(姫路市)

で合わせて3082石3斗8升に改められている事が判ります。(『島津家文書』)

すなわち、島津氏が「在京賄料」として与えられた所領である播磨国でのエピソードが島津製作所の創業者の由縁に関わっていたんですよね。

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※(関連)豊臣体制論ノート(4)―「豊臣の子」―
※(関連)豊臣体制論ノート(3)―軍役体系―
※(関連)豊臣体制論ノート

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