豊臣秀頼画像!

慶長19年(1614)頃の豊臣秀頼生前画像

豊臣秀頼豊臣秀吉の次男として生まれますが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大坂城落城時に生害(=自害)します。

秀頼は、秀吉の死後、羽柴家の家督を継ぎますが、結局は関白職に襲職できなかったため、❝豊臣なのに、豊臣になれない❞、すなわち「豊氏長者」になれなかったので、豊臣家の家督を継げずにその生涯を終えました。

― ◇ ◇ ◇ ―

豊臣秀頼の画像で最も知られているのは少年期の直衣のうし姿を映した養源院(京都市東山区)所蔵の画像でしょうね。

対して、青年期の束帯姿を描いた画像が東京芸術大学附属芸術資料館所蔵の画像です。

大坂の陣を間近にした時期に真田信繁から所望されて描き上げられ、信繁の許に下されたものと云われています。

それ故、秀頼顔の向きは右側に向いていますね。これは生前に描かれたものとしての証明にもなっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、この風貌を見る限りにおいては、母方(淀殿)の祖父・浅井長政の容姿を偲ばせていますし、体格は六尺以上はあった、という伝承にピタリとハマっていますね。

そんな巨漢な秀頼でイメージしたのはNHK大河ドラマ「春日局」秀頼を演じた渡辺徹さん?…まさか、一番ピッタリだったなんてね(笑)

ところがこの肖像画、そんなにメジャーな扱いを受けていませんね。発表されてから既に10年以上が経っていますが、未だに養源院所蔵の少年期の直衣姿ばかり使用されている…(扱われる豊臣ネタが関ヶ原前後が多いので、自然仕方ありませんが…)

『新修大阪府史』などでは既に秀頼像としてこちらが採用されているにもかかわらず、あまりに知名度が低すぎるのが現状ですね。

歴史に携わる研究者にしても、歴史好きを公言する一般の私たちにしても、持っている固定概念を取り払って、意識改革を常に心掛けておく必要性がありますよ!

※(参考文献)井上安代(私家版)『豊臣秀頼』
※(参考文献)大阪城天守閣特別展図録『生誕400年記念特別展 豊臣秀頼展』

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)(トピックス)大坂城鎮守社・玉造稲荷神社に豊臣秀頼の銅像がそびえ立つ→




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posted by 御堂 at 05:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
黒駒さん、こんばんは!

この秀頼像ですが、余り陽の目を見てません(寂)
未だに幼少期の画像(養源院蔵)ばかり使用される始末…
関ヶ原の頃はそれで良いかもしれませんが、大坂の陣前後の秀頼を折角描いているのだから、こちらを使用するべきだとおもうのですけどね!
Posted by 御堂 at 2011年02月17日 19:47
山梨には穴山梅雪の嫡男である勝千代の肖像が伝来しているのですが、これは珍しい幼年当主像なのですよね。

秀吉肖像もそうですが、近世に近くなると幼年当主の肖像も作成されるようになったのでしょうかね。
Posted by 黒駒 at 2011年01月25日 19:50
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