「ララ物資」と浅野七之助

神奈川県横浜市の新港埠頭にあるララ物資の記念碑

第二次世界大戦終結間もない昭和20年(1945)秋、日本は食料品や医薬品・日用品などが著しく窮乏し、食糧については大正昭和を通じて最も凶作の年となり、翌21年(1946)には1000万人以上の餓死者が出るとまで云われていました。

この時、お腹を空かせ、窮乏に喘ぐ日本人を救済するために、海外の様々な団体から援助物資が届けられたのですが、その1つに「ララ物資」というものがありました。

おそらく、50代以上の皆さんでしたら、ご記憶にあるでしょうね!

「ララ」というのは、LARA(=アジア救済公認団体:Licensed Agencies for Relief of Asia)といって、北米のアメリカ、カナダ、メキシコ、南米のチリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなど多くの国の民間人や民間団体から集められた対日援助物資の窓口として組織されたボランティア団体の事です。

当時、アメリカにおける対外的な慈善活動の対象地域はヨーロッパ地域のみであり、日本は含まれていませんでした。

そのため、日本や朝鮮、沖縄に対する援助物資輸送のために新たな援助団体を設立する必要がありました。

そこで、昭和21年(1946)6月21日、救援事業を行うための民間レベルでの特別委員会設置が決定され、アジア救済公認団体、すなわち「ララ」が設置されたのです。

そして、もう1つ大きな流れを作ったのは、日本人の窮状を知った日系人や在留邦人の間で祖国救済の気運が高まった事です。

なかでも、岩手県盛岡市出身で原敬の書生を務めた事がある日系人ジャーナリスト・浅野七之助が新聞などを通してサンフランシスコを拠点に「一食を分かち、一日の小遣いを割いても、援助することは、良心的な義務」と日本戦災難民救済を呼び掛けたのです。

昭和20年(1945)11月、浅野は同志たちと共に「日本難民救済有志集会」を催し、、邦字新聞『ロッキー新報』に「故国の食糧危機重大」と題する記事を載せ、救済運動の盛り上げを図ります。 

翌21年(1946)1月には『日本難民救済会趣意書』を起草し、サンフランシスコ在住の日系人を中心に集めた物資を日本に送ろうと思い立ちますが、上述した様にアメリカではヨーロッパ地域しか対象としていない事が判明したため、「日本難民救済会」を公認団体とするように申請します。

同年9月、大正6年(1917年)から日米開戦直前まで来日経験があり、知日家であったエスター・B・ローズ(Esther B.Rhoads)女史も申請認可に対し尽力された結果、ようやく認可されるところとなり、日本に救援物資を送る事ができる公認の団体として「ララ」が発足したのです。

そのため、浅野七之助はその功績から「ララ物資」の父”と呼ばれています。

― ◇ ◇ ◇ ―

「ララ」が認可された事により、「日本難民救済会」の運動は熱を一層帯び、、結果、「ララ物資」という形で食糧や衣類、医薬品類、日用品、学用品、更には牛や山羊までもが集められて日本へ贈られていくのです。

昭和21年(1946)11月30日午後5時、救援物資を積んだハワード・スタンベリー(Howard Stanbury)号が横浜港に到着します。

第1便として到着した救援物資は計450トン。脱脂粉乳や医薬品、医療品などが積載されていたそうです。脱脂粉乳は保存性が良く、蛋白質たんぱくしつ、カルシウム、乳糖などを多く含んでおり、栄養価が高い事から、多くの欠食児童が栄養失調から救われました。

翌12月の第2便では、救援物資は何と計21万トンにも上り、チーズやバター、エバミルク、レーズン、ポークチョップ、ミート&ビーンズ、トマトジュース、グレープフルーツジュース、グリンピース、パイン、干しりんごなどが贈られてきたそうですよ。

更に翌22年(1947)になると、「ララ物資」が全国各地に配付されるようになり、次いで翌23年(1948)になると、東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の六大都市の約300か所の保育所で「ララ物資」による給食が開始されます。

こうした「ララ物資」による援助は、同27年(1952)3月まで、足掛け7年間にもわたって展開されました。

日本や朝鮮、沖縄へ贈られた援助物資の総計は、当時の金額で総額400億円を超える額だったと云われています。

また、「ララ物資」での援助活動に貢献した日系人団体は何と36団体に上るのだとか―

彼らのお陰で1400万人以上、即ち当時の日本人の6人に1人がその恩恵に与っていた訳ですね。

― ◇ ◇ ◇ ―

神奈川県横浜市の新港埠頭に「ララ物資」の記念碑が立っています。碑には昭和24年(1949)10月19日に香淳皇后昭和天皇と共に「ララ」倉庫に行幸啓になられた際に詠まれた御歌が刻まれています―

ララの品/つまれたる見て/(外)つ国の/あつき心に/涙こほしつ
あたゝかき/(外)つ国人の/心つくし/ゆめなわすれそ/時はへぬとも



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posted by 御堂 at 04:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
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