山梨県都留市朝日馬場の
護良親王は南北朝時代、足利尊氏と対立した後醍醐天皇の皇子で、同神社に残る伝承では、建武2年(1335)、足利氏によって鎌倉の土牢で護良親王が殺害されたおり、
護良親王の御首級は江戸時代に復顔術が施され、「石船神社の復顔首級」として都留市指定有形文化財(第18号有形民俗文化財)として金庫に保管された状態で、神殿に安置されています。同神社では毎年正月15日の初祭りの際に、その年の祭礼当番が御首級の無事を確認する仕来たりとなっており、この日も神事の後に宮司が御首級を取り出し、4人の祭礼当番は異状がない事を確認すると、安堵の表情を浮かべておられた様子。
- 「神体は護良親王の首級で、頭蓋骨に箔を押し付け、両眼に水晶を填め込んだもの。伝承では従者が護良親王の首を鎌倉から密かに持ち出し、合祀したという」(『角川日本地名大辞典』19巻 山梨県「石船神社」の項)
- 『山梨日日新聞』昭和52年(1977)10月22日付には「日本最古の複顔術」と題して「ミイラ首は人間の頭骨に寄せ木細工で肉付けして顔の形に復元。その上へ漆を塗って復顔した可能性があると判定」したという記載がある。(『山梨日日新聞』縮刷版・昭和52年=1977=10月号)
- 『山梨日日新聞』平成11年(1999)5月4日付には「復顔術は江戸初期に施されたとされ、日本最古という。技術も優れており、1979年に市の文化財に指定された」との記載がみられる。(『山梨日日新聞』縮刷版・平成11年=1999=5月号)
- 『週刊昭和タイムズ』第40号「昭和52年」には「骨格から見て高貴な人物。鼻筋が通った美男子で、年齢は30歳前後」と鑑定されたとの記載がある。
護良親王が相模国鎌倉二階堂谷の東光寺(現、神奈川県鎌倉市寺分)に幽閉された際、同行して勤仕していた雛鶴姫と呼ばれる女性がいました。
建武2年(1335)7月23日、北条高時の遺児・
その際に足利
雛鶴姫と数人の従者たちは護良親王の御首級を
一行は先ず同国鎌倉郡下柏尾村(現、神奈川県横浜市戸塚区柏尾町)の王子神社に足を運び、ここで護良親王の御首級を洗い清めます。(「
当初は東海道から京に帰洛しようと計画しますが、東海道が警戒厳重なのを考慮し、小田原より引き返して甲斐・信濃をまわるコースに変更します。
先ず、大山(神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市にまたがる山、丹沢大山国定公園)を経由し、相模国愛甲郡津久井の青山村(現、神奈川県相模原市津久井町青山)の寺院に逗留して病を癒します。
その間に護良親王の三十五日忌の供養を営み、小高い丘に供養塔を建てて護良親王の霊を慰めます。
この供養塔は応安4年(1370)の大塔宮33回忌の際に沙弥蓮明がこの塚で『法華経』千部を修して宝篋印塔を建立して以降、「千部塚」と呼ばれるようになったのだとか―
3か月ほどが経ち、雛鶴姫の病が快癒するとこの地を離れ、甲斐へ逃れて行きます。
急ぎ逃げ落ちる雛鶴姫ですが、実はこの時、護良親王の子を宿していたのです。
甲斐国都留郡秋山村(現、山梨県上野原市秋山無生野)まで辿り着いた時に産気づき、そこで皇子を産み落とします。
その後、雛鶴姫は産後の肥立ちが悪く、とうとうその地で他界してしまうのです。
雛鶴姫の薄幸な運命に涙した秋山の村人たちによって、淵沢(朝日川大旅沢)に墓碑塚を築いて弔われ、その地には現在、雛鶴姫を祀った「雛鶴神社」(現、山梨県都留市朝日曽雌)が建っているそうです。
また、この周辺地域には、多くの雛鶴姫に関して、
- 雛鶴姫が歩んだ津久井の青山から秋山村までの山道を「雛鶴街道」と呼び、
- 雛鶴姫が愛する護良親王の御首級を抱いて涙ながらに越えた峠を「雛鶴峠」と呼び、
- 雛鶴姫に対し、援助や保護を拒絶した秋山村の集落を以降「
無生野 ( ) 」(=無情)と呼ぶなど、
さて、伝承では雛鶴姫が産んだ皇子は小大塔宮・
「雛鶴峠」は別に「大だみ峠」とも云うそうです。これは雛鶴姫を
こうした雛鶴姫の伝説を基に、哀愁の演歌「雛鶴峠」が制作され、演歌歌手の大月みやこさんが唄われています。
最後に、大月みやこさんの「雛鶴峠」の歌詞を書き記します。雛鶴姫の悲哀を
「雛鶴峠」(昭和47年=1972)
◎作詞:沢登初義
◎作曲:古谷宏
◎歌唱:大月みやこ
♪土の牢屋の 灯火消せば
星の鎌倉 潮騒ばかり
いとし護良親王の みしるし抱いて
行くか雛鶴 行くか雛鶴 雛鶴峠
なれぬわらじに 血潮がにじむ
皇子を身ごもる 雛鶴姫よ
おいたわしいぞ 松葉に乗せて
越える時雨の 峠路七里
人の情けが あついと聞いた
ここが甲斐国 秋山の里
赤子が泣くのに 冷た乳房
鶴も鳴く鳴く 鶴も鳴く鳴く 雛鶴峠♪
※(参考文献)山地悠一郎『護良親王の伝説』(近藤出版社)
※(参考文献)「石船神社の首級」「石船神社とその祭祀」『都留市史』資料編 民家・民俗
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以前、宮を祀る鎌倉宮に行ったことを思い出しました。
そうなんですね!私自身富士山五合目より以東は未踏の地なんですが、こういう意外に知られていない悲劇の女性には至極感銘を受けやすい方なので、一度訪れてみたい気がします。
どこまでが本当だったのか分からなかったのですが、これをみて、本当に雛鶴姫と護良親王はいらっしゃったんだなと思いました。
私も一度、お2人に関わるところに訪れてみたいと思います。
私も正直に言って、ほとんど知らなかった女性なのですが、こうした悲劇的な生涯を迎えられた女性の事を調べるのが好きなので、大いに感銘を受けたんですよね!
一度調べるともっともっと掘り下げたくなるので、より一層、雛鶴姫の事が知りたくなってます!!
私も、小説の 君の名ヲ を読み、二人に興味を持って調べていたところです。
700年前に本当に二人がいらっしゃったのですね。
小説の中では二人はとても中睦まじく、護良親王はすごく姫を大事になされたそうです。
悲運な運命でしたが、お二人の絆の強さに心をうたれました。
私も一度、訪れてみたいです。
たった今鎌倉宮に行ってきました!
土牢を見た瞬間涙が出そうになりました。
護良様が祀られている本殿の横に
寄り添うように雛鶴姫も祀られていて
なんだか安心しました。
ホント、機会があったら、訪れてみて下さいね。現実には700年が経過し、2人が過ごした時代の原風景は残っていないかもしれないけど、るんるさんが読まれた小説の1シーンをイメージする事で、“この場所で2人は仲睦まじく過ごしていたんだなぁー”って感じる事ができるかもしれませんよ!
早速行って来られたんですね。
>土牢を見た瞬間涙が出そうになりました。
護良様が祀られている本殿の横に
寄り添うように雛鶴姫も祀られていて
なんだか安心しました。
その感覚忘れないようにね!歴史を感じる事の第一歩は原風景を感じる事だし、その場所に自分を置く事で護良親王や雛鶴姫の気持ちがわかる気がするんだから!
私自身は『キミノ名ヲ』を読んだ事がないのですが、興味があれば場所を訪ねてみたりして下さい。
その場所を感じる事で、“あぁ、あの場面でのあのシーンはこんな感じだったのかも!”って思える自分がいるはずだから…
歴史が本当に身近にあることを知らされ、驚いております。有り難うございました。
宮様と雛鶴姫のこと私なりに調べてみようと思いましたが本当に歴史は奥が深い…。
もー全然何が本当でなにが違うのかさっぱりわかりませんでしたが…。ただ雛鶴姫と宮様の愛は素敵☆
これから機会を設けて鎌倉と山梨県を尋ねてみたいと思ってます。
宮様たちが見ていた景色、昔とじゃ全く違うけど肌で感じて来たいと思います。
またお伺いさせていただきます。
歴史モノと文学モノって、合わさって大作ができたりするもの…
私もこのブログでは、歴史の話はもちろん、好きな古文や漢文を混ぜあわせながら、文章を編み上げているつもりなんですよね。
大塔宮と雛鶴姫のもの悲しさをあやさん風に描いてみるといいですよ!
小説での終幕はとても悲しくて、涙が止まりませんでした。
だけど、今、一緒に居る事を知って、とても嬉しい気持ちになりました。
あたしは鎌倉までは行けないのですが、大人になったら是非、足を運んでみたいと思います。
とても勉強になりました。ありがとうございます<(_ _)>
この小説のおかげで、歴史が好きになりました。
これからも、たくさん2人について
調べてみようと思います。
改めて「キミノ名ヲ」という作品が多くの方に読まれているベストセラーなんだな、って気付かされます。
もし今後、鎌倉に行かれる機会があった際には、小説に書かれた場面の描写を思い浮かべて、「あの時、こうだったんだな!」って感じてください!
実のところ、私も昔、平安時代に東北地方を治めていた奥州藤原氏の事を初めて知ったキッカケだったのが、少女マンガだったんですよ(笑)
今は活字小説はモチロンだけど、マンガ(少年誌、少女誌問わず…)でも感銘を受ける作品にたくさん出会えると思います。
それらの中から、たくさんの興味を芽生えさせて下さい!
実際歴史はあまり好きでわないのですが、二人のことを知って歴史には、裏に物語がある。その事を知り護良親王の事を調べてみました。
歴史の出来事を全て理解するなんて、私でも難しい事と思ってるんですよ。
でも、護良親王に限らず、興味を持った何かから少しずつでも「こんな事実があったんだ!」って知れば知るほど、また新しい発見があるはずですよ。そのうち、空さんしか知らない発見が見つかればいいね!