江戸の町に初めて飾られたクリスマスツリー―オイレンブルクの万延元年!

もうすぐ、クリスマス(Christmas)を迎えますね…

クリスマスは、イエス・キリスト(Jesus Christ)の降誕(誕生)を祝うキリスト教の祝祭行事として、12月24日の日没以降、翌25日の日没までの期間に催されます。

クリスマスの語源はラテン語の「クリストゥス(Christus=救世主、キリスト)・ミサ(Mass=礼拝)」の略だそうです。

しかし、実はイエス・キリストがこの日に誕生したという訳ではないんですね。

実際、定まった期日もないまま、キリスト降誕を祝っていたようですが、西暦352年にローマ帝国皇帝ユリウス1世によって12月25日と定められた様ですね。


  • 313 ミラノの勅令(寛容令)=コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって、他宗教と共にキリスト教は公認された。(311 ガレリウス帝によって勅令が発せられた説有り)

  • 324 キリスト教保護を明言したコンスタンティン帝により帝国が統一される

  • 325 コンスタンティヌス帝がニカイア公会議を開催し、キリスト教に内部介入した

  • 353 コンスタンティウス2世により、帝国が再統一される

  • 361 ユリアヌス帝による迫害が始まる

  • 380 テオドシウス帝により、キリスト教を信仰する様にローマ帝国の国民に命じる

  • 392 テオドシウス帝により、帝国内での異教信仰が全面禁止され、キリスト教が国教と定められる

何故、12月25日になったのかというと、その当時のローマ帝国の求心力が低下していく傾向の中で、その打開策としてキリスト教の勢力を利用しようと考えたローマ帝国皇帝の目論見が考えられます。

さらには、元々ヨーロッパ各地では冬至の日に「太陽神の誕生祭」や「農耕神への収穫祭」を祝う土着のの風習がありました。

この土着の行事に、イエス・キリストの生誕祭が融合して、当時の暦で冬至だったとされる12月25日にクリスマスが行われる事になったそうですよ。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、日本で最初にクリスマスが催されたのは、天文21年(1552)12月10日(1552年12月25日)、場所は、大内氏の領国である周防国吉敷郡山口(現在の山口県山口市)―

『イエズス会日本通信』(耶蘇会士日本通信 ※1)によると、
降誕祭の日○天文二十一年十二月十日 我等は弥撤ミサを歌ひ、良き声にはあらざりしが、キリシタン等は之を聞きて大に喜びたり。同日は終夜基督キリスト一代記を語り、両パードレは六回弥撤を行ひ、之を行ふ理由を説明せり。(『耶蘇会士日本通信』一五五四年○天文二十三年 イルマン・ペロ・ダルカセバがゴアよりポルトガルの耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰。)
また、ルイス・フロイスはその著書『日本史』(※2)の中で、
山口において日本で初めて降誕祭の祝いが催されたが、その報せに接したキリシタンたちは、これを大いに喜んだ。彼らは夜を徹するために我らの家に来て、夜明けの第二のミサまでそこに留まり、その間絶えずジョアン・フェルナンデスが彼らに朗読するデウスのことを傾聴した。そして修道士が疲れると、我らのローマ字を読むことができる一人のキリシタンの少年が読み、一同はデウスを讃美しながら夜を徹した。彼らが読むことをやめると、人々はすぐに創造主のことについて話しをしてほしいと督促してやまなかった。」(ルイス・フロイス『日本史』第一部八章 山口における事態の進展、ならびにルイス・デ・アルメイダ修道士がイエズス会に入ったことについて ※2−1)

コスメ・デ・トルレス師は仲間と援助者たちが到着するのを待ちに待っていたので、彼らにあった時の喜びようは信じられぬばかりであった。同地方のキリシタンたち一同の喜びもそれに劣らなかった。
降誕祭当日に彼らは歌ミサを唱え、キリシタンたちは、それが初めてのことであったから非常に喜んで傾聴した。そしてその夜を徹して彼らはキリシタンたちに我らの主なるキリストの生涯を読んで聞かせた。また司祭たちはそれぞれ三つのミサを捧げ、なぜそのように三度のミサを読むのか、その理由をキリシタンたちに説明した。(ルイス・フロイス『日本史』第一部九章 バルタザール・ガーゴ師がドゥアルテ・ダ・シルヴァおよびペドゥロ・デ・アリカソヴァ両修道士らとともに日本に赴いた次第 ※2−2)
との記述が見られます。山口には、3年前の天文18年(1549)に来日したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(※3)の布教活動により、多くの信者が誕生しており、また、その後を引き継いだ第2代日本布教長のコスメ・デ・トルレス(Cosme de Torres)神父も領主の大内義長から最初の教会堂となる大道寺(現在の山口県山口市金古曽町周辺)創建の許可を得ていました。

この日は、大殿地区(現在の山口県山口市大殿大路周辺)に仮住まいとして造られた司祭館で行われた様で、ミサの前夜(クリスマス・イヴですね!)から領内のキリスト教徒たちを招いて、聖書を読み聞かせ、賛美歌を歌い、夜を徹して催され、教会の外には中に入りきれない程の教徒たちで賑わったと記録されています。

また、この時に唄われたミサが「日本で披露されたヨーロッパの声楽としては最古のもの」(『クリスマス』※4)として日本における西洋音楽の発祥と云われています。

※1 『弥蘇会士日本通信』
→『耶蘇会士日本通信』(『異国叢書』『続異国叢書』)、『山口県史 史料編 中世1』1016頁、『山口県史料』史料編 上)386〜387頁

※2 『日本史』(※2)
1)ルイス・フロイス『完訳フロイス日本史』第6巻 大友宗麟篇T ザビエルの来日と初期の布教活動(松田毅一・川崎桃太訳、中央公論新社)第七章(第一部八章)85〜86頁

2)ルイス・フロイス『完訳フロイス日本史』第6巻 大友宗麟篇T ザビエルの来日と初期の布教活動(松田毅一・川崎桃太訳、中央公論新社)第八章(第一部九章)94頁

※3 フランシスコ・ザビエル
(参照)「鹿児島に漂流した一人の外国人 Francisco de Xavier について」→

※4 「日本で披露されたヨーロッパの声楽としては最古のもの」
→クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト『クリスマス』、角川書店)


― ◇ ◇ ◇ ―

そんなクリスマスに欠かせないのがクリスマスツリー (Christmas Tree) ですよね。

日本で最初にクリスマスツリーが飾られたのは、実は幕末の万延元年(1860)の事でした。

そもそもクリスマスツリーって、どういう意味合いがあったのでしょう?

クリスマスツリーには、『旧約聖書』の「創世記」にて、アダムとイブが食べては行けいない木の実がある知恵の樹を模したものだとされます。

8世紀頃、フランク王国にキリスト教を伝えた聖ボニファティウス(Bonifatius)という宣教師が古代ゲルマン民族の風習を採り入れ、もみの木にキリストへの捧げ物を吊るす事を始めました。(「トールのオーク」伝説)

その後、1419年にはちゃんと飾り付けがなされたツリーが、エルザス(Elsass)地方のフライブルク(Freiburg)のパン職人たちの信心会により聖霊救貧院に飾った行為がクリスマスツリークリスマスに飾る最初だとされています。

以降、こうしたツリーが次第に伝播していき、

1600年代にはドイツ連邦各地に、さらにイギリスには18世紀の中頃にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公国からジョージ3世に嫁いだシャーロット王妃(ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ、Sophia Charlotte of Mecklenburg-Strelitz)が持ち込んだのが始まりとされ、アメリカには1746年、ドイツ移民によってもたらされます。それからもベルリン(プロイセン王国)には1800年頃、デンマークやノルウエーには1830年頃と伝播してゆきます。

フランスでは1840年に、オルレアン公フェルディナン・フィリップ(フェルディナン・フィリップ・ドルレアン、Ferdinand Philippe d'Orléans)に嫁いだメクレンブルク=シュヴェリーン大公国のヘレーネ・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン(Helene zu Mecklemburg-Schwerin)が嫁ぎ先でツリーを飾ったのが最初だとか―

イギリスに最終的に伝播するきっかけとなったのが、1841年にドイツ連邦ザクセン諸公国の1つ、ザクセン=コーブルク=ゴータ家からヴィクトリア女王の王配となったアルバート公が生まれたばかりの王子へのプレゼントとして、ウィンザー城でツリーを飾り付けたのが始まりで、1848年には、小さなクリスマスツリーにロイヤルファミリーが集まった絵がロンドンの新聞に載った事で、大きな反響を呼び、国中に広がる事となるのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

そんなクリスマスツリーが日本で最初に飾られたきっかけは何だったのでしょう!

時は、江戸時代幕末期にあたる万延元年(1860)のお話。

場所は?というと、安政6年(1859)に芝赤羽橋付近(現在の東京都港区東麻布周辺)に建てられた通称“異人旅館”外国人接遇所(※5)の敷地内で催されたのではないかと云われています。

恐らくは、プロイセン東洋遠征艦隊と共に、万延元年(1860)9月に日本へ到着したプロイセンの外交官・フリードリヒ・アルブレヒト・オイレンブルク(Friedrich,Albrecht Graf Eulenburg)が主賓のパーティーではなかったか、というのが考えられます。

すなわち、オイレンブルクが各国の外交官を集めて、クリスマスパーティーを開くのにあたり、江戸町中の植木屋を探し回り、杉や竹、椿の木などを使って樅の木に似せます。その背丈は何と天上に届かんばかり…木にはオレンジや梨、砂糖菓子や蝋燭ろうそくなどを吊ったクリスマスツリーを飾ったのだそうですよ。

※5 通称“異人旅館”外国人接遇所=赤羽接遇所
安政6年(1859)8月に講武所付属調練所であった場所に外国人宿泊施設として建てられた。敷地面積は2856坪。
プロイセンの使節オイレンブルグが万延元年(1860)7月に来日直後ここを宿舎とし、12月14日に日普修交通商条約が調印された場所でもある


― ◇ ◇ ◇ ―

PS.
このオイレンブルクが万延元年(1860)9月に江戸の町に飾ったクリスマスツリーよりも2年早い安政6年(1858)12月、箱館(函館)の町にクリスマスツリーが建てられたという新情報を得ました。

(関連)日本で最初に飾られたクリスマスツリーは函館だった!→

― ◇ ◇ ◇ ―

(関連)“戦場のメリークリスマス”―戦国時代のクリスマス休戦→


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posted by 御堂 at 06:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
ぴよちゃんさん>

新情報サンクスです。早速ながら調べまくりました!

このような新発見が歴史をドンドン書き換えていくのって歴史好きには楽しさ満載です(^▽^)
Posted by 御堂 at 2014年12月03日 22:36
日本で初めてツリーが飾られたのは上記より2年前の1858年(安政5年)函館が最初です。
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=23208

ロシア領事館が置かれた函館に初代駐日領事として滞在したゴシケビッチが、箱館奉行所の役人や近隣住民と交流を深めようと、1858(安政5)年に、国内で初めてツリーが立てられました。
Posted by ぴよちゃん at 2014年11月26日 10:48
>堀江武雄さま

こんな拙い文章の記事で宜しければ、どうぞお使い下さい。
Posted by 御堂 at 2014年10月16日 16:48
私の教会(姫路福音教会)の月刊誌に「初めてのクリスマス」のタイトルで記事を書くことになり、日本でのクリスマス歴史を調べていましたところ、貴プログを発見しました。これほど詳しく書かれた記事はありませんでした。是非、転載させて頂きたく思いますので、ご了承をお願い致します。
Posted by 堀江武雄 at 2014年10月16日 05:20
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