「五大老」展

「五大老」展

豊臣秀吉の天下統一事業の賤ヶ岳の合戦から関ヶ原の合戦までを軸に、五大老(徳川家康・前田利家・毛利輝元・小早川隆景・宇喜多秀家・上杉景勝)ら有力大名が繰り広げた歴史ドラマを辿る特別展「五大老―豊臣政権の運命を託された男たち」を観覧するために大阪城天守閣(大阪市中央区)に行ってきました。

「五大老」制度は豊臣秀吉が死の直前の慶長3年(1598)8月5日に定めた制度で、秀吉が嫡男である秀頼が成人するまでの政治運営にあたっては、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家ら「五大老」と呼ばれた有力大名衆と浅野長政、前田玄以、増田長盛、長束正家、石田三成ら豊臣家吏僚による合議制を執ることを遺命した「秀吉遺言覚書」体制を維持するようにしました。

特別展では、秀吉が権力を握っていた頃の「五大老」の役割などを振り返ろうと企画されとおり、古文書や陣羽織など計139点が時代ごとに展示されています。

秀吉が景勝宛てに送った国宝の「羽柴秀吉書状」もあり、秀吉への臣従を拒んでいた家康が豊臣政権に組み込まれた経緯が示されていますよ。

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小早川隆景木像

さて、私が特に目を惹いたのが展示されていた小早川隆景の木像です。

その昔、新聞記事で見つけた木像で、小早川秀秋の遺児・羽柴秀行の子孫の方の土蔵に眠っていたんですね。

小早川隆景の木像の記事

僕もその記事を観て以来、初めての実物拝見なんですね。今回、展示目録も購入しましたが、その中に木像の説明として、元所有者だった秀秋の遺児・秀行の子孫(土肥さん←小早川家は土肥実平の子孫ですから…)が備中足守藩主である木下家(=秀秋の兄の家系)の家臣だった事が改めてわかりました。

この秀行は、秀秋の兄・木下勝俊の六男として養育され、長じて備中足守藩の家老となった際、土肥姓に改称したそうです。そして、その子孫たちも備中足守藩の家臣となったとの事です。

…ということは、備中足守藩木下家の家臣分限帳などを調べてみたら、判るかもしれない!ですね。

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今回の展示で思ったのは、折角「五大老」をピックアップしたのだから、成立期の慶長3年(1598)8月5日以降、瓦解期の慶長6年(1601)8月の上杉景勝の米沢転封あたりまでを掘り下げて欲しかった気もします。

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