「王と私」観賞基礎ノート(3)―内侍と王妃の愛―

金処善

BS日テレにおいて「王と私」(全63話)が現在放送されていますね。

私自身は以前、スカパーのLaLaTVで放送された際に視聴し終えているのですが、その際にまとめ切れなかった事、またBS日テレにて「女人天下」の視聴以降、すっかりハマってしまった父と母に分かり易い様に予備知識を作成しようと思うので、以下まとめてみました。

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この「王と私」の時代背景としては、朝鮮王朝の初期にあたり、第6代国王で、端宗タンジョン3年(1455)に起きた「癸酉靖難ケユジョンナン」によって叔父である首陽大君スヤンテグン(第7代国王・世祖セジョン)に譲位させられてしまった端宗タンジョンが、世祖セジョン2年(1457)に復位を図ろうとした事件(「端宗タンジョン復位事件」)が失敗した辺りから、第10代国王で「戊午士禍ムオサファ」(燕山君ヨンサングン4年:1498)や「甲子士禍カップチャサファ」(燕山君ヨンサングン10年:1504)など、その行き過ぎた施政により、「中宗反正チュンジョンバンジョン」(燕山君ヨンサングン12年:1506)と呼ばれる朝鮮王朝史上最初となる“臣下によるクーデター”で廃位された燕山君ヨンサングンまでの物語です。

その間、端宗タンジョン世祖セジョン睿宗イェジョン成宗ソンジョン燕山君ヨンサングン5代の国王に至るまでの朝鮮宮中を管掌していた内侍ネシたちにスポットを当てています。

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「王と私」は、宦官ファングァン内侍府ネシブに勤務するキム処善チョソンと廃妃ユン氏(斉献王后、ユン素花ソファ)の精神的な愛をモチーフにしたドラマですが、こうした内侍と王室の女性との間のスキャンダルが実際に存在した可能性があるようです。

『朝鮮王朝実録』の『太祖実録』太祖テジョ2年(1393)6月19日条を見ると、
癸巳/誅内竪李万、黜世子賢嬪柳氏(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖2年癸酉(1393)6月癸巳(19日)条)
という記載が見られます。

太祖テジョ2年(1393)6月19日、太祖テジョ(李成桂)が、宦官内豎ネスである李萬を殺害し、王世子セジャ・宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)である賢嬪ヒョンビン柳氏ユシを追放し廃妃するという、将に青天の霹靂へきれきともいうべき命令を下します。

賢嬪ヒョンビン柳氏ユシという女性は、太祖テジョの末子ですが王世子に任ぜられた宜安大君(李芳碩)の妃(世子嬪)で、2人は恭譲王元年(1390)に、王世子9歳、世子嬪20歳で結婚していました。賢嬪ヒョンビン柳氏ユシは宜安大君(李芳碩)よりも11歳年上だったんですね。

この突然の太祖テジョの命令に対し、台諌テガンたちが賢嬪ヒョンビン柳氏ユシの事件について、「国民たちの間に様々な憶測がが飛び交っているので、真相を明らかにするように上疏したところ、

乙未/台諫、刑曹上言:窃見内竪李万伏誅、賢嬪柳氏黜还私第、国人未知所以、疑惧不已。愿殿下将左右亲近之人、下法司鞫問、以絶国人之疑。上怒、下右散騎常侍洪保、左拾遺李慥、司憲中丞李寿、侍史李原、刑曹正郞盧湘于巡軍(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖テジョ2年癸酉(1393)6月乙巳(21日)条)
と、太祖テジョは大いに憤慨して、台諫たちを巡軍獄スングンオク(巡軍万戸府)に投獄してしまったのです。

太祖テジョ(李成桂)は台諌たちに対し、
宮中小竪嬪媵黜罰、我家私事、非外人所得知也(『朝鮮王朝実録』太祖実録、太祖テジョ2年癸酉(1393)6月丙申(22日)条)
と、宮中の小竪(李萬)と嬪媵ビンイン(=嬪と媵妾インチョプ、すなわち賢嬪ヒョンビン柳氏ユシ)を追放して処罰する事は私たちの家(王室=李家)の事だから、外部の人々の知るところではないと返しています。

つまり、太祖テジョ(李成桂)の宦官に対する意識には高麗王朝時代の国王と同様に「汝是家奴」(『高麗史』巻第122『宦者伝』金玄の項)といった感じで、“王室、すなわち李家の使用人”という扱いなのですが、台諫たちにとっては、国王たるべきは例え身内の者であっても、法に基づいて処断してこそ、国の規範が正しく成り立つのだ、と意見が食い違ったんですね。

実際に、これ以降は賢嬪ヒョンビン柳氏ユシに対する記録は何一つ残されていません。本当にスキャンダルがあったのか?どうかは“薮の中”に隠されてしまいました。

しかしながら、太祖テジョ(李成桂)のこうした唐突な行動から、若しかしたら世子嬪と内侍との愛があったのかも?という推論の可能性を導かせてくれるのです。

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※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(4)―於乙宇同事件―
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート(2)―内侍府―
※(関連)「王と私」観賞基礎ノート―内侍&宦官について―

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