「大名」

「大名」、あるいは大名領主とは、

(1)大名主みょうしゅ、すなわち多くの名田みょうでんを持つ者
(2)大いに勢力をふるう者(家)

などの事を指し、そこから転じて、多くの所領や部下を所有する者(家)を意味する用語となったようです。

室町時代中期に成立した用字集・国語辞典である『節用集せつようしゅう』には、

大 名  タイメイーー守護
 タイミョウ  ーー銭持

の様に「たいめい」「だいみょう」の2つの読み方を載せており、前者の用例として「大名守護(=大領主)」、後者の用例として「大名銭持(=富裕層)」を当てて説明しています。

江戸時代初頭に日本イエズス会の神父たちによって編纂された『日葡にっぽ辞書』では『節用集』の様に「だいみょう」「たいめい」の2つが併記されていますが、語意は2つとも「大領主」としています。

「だいみょう」という呼び方に定着したのは江戸時代中期以降で、寛政年間(1789~1801)には「だいみょう」と定着化したのだとか―

※因みに、私は大名田堵たと(荘園領主制での田地経営を行った有力百姓層。田刀、田頭とも云う)から来た用語と思ってました…

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さて、江戸時代以降、幕藩体制下における「大名」はその定義として、主に1万石以上の所領を幕府から宛行あてがわれた者を指していますよね。

確かに寛永12年(1635)に発令された「武家諸法度」(寛永令)の条文の記載された文言には、

「大名・小名」
「諸国主并領主等」
「国主・城主・壱万石以上」
などの記載がみられます。

ところが、それ以前の慶長20年(1615)に発令された武家諸法度(元和令)では、

「国々の大名、小名并びに諸給人」
「諸大名参勤作法の事…百万石 以下二拾万石以上…十万石以下」
という文言が用いられており、しかも、「大名」と「小名」は

「百万石以下二拾万石以上」
「十万石以下」
の様に10万石の領有で区分されていたようです。

すなわち、「大名=1万石以上」という区分が幕府によって示されたのは寛永12年(1635)の「武家諸法度」(寛永令)が始まりであって、それ以前に「1万石以上」の区分は存在せず、「10万石」という一定の区分観念が存在したんですね。

前田家や島津家の様な大身の国持大名を含め、幕府は「1万石以上」の中小大名領主がそれこそ外様・譜代の別に関わりなく一律に位置付けられた訳です。

寛永12年(1635)を境として、幕府の大名編成の有り様が大きな変革をもたらしたのは何だったのか気になる所ですね!

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  • 三宅正浩「近世初期譜代大名論」(『日本史研究』575)
  • 笠谷和比古「国持大名論考」(『古代・中世の政治と文化』思文閣出版)

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※(参照)家格―「国持」大名の身分格式
※(参照)主君「押込」

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