まだ“戦後”は終わっていない!―外地からの引揚者への保管紙幣返還業務

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“もはや戦後ではない”

昭和31年(1956)に中野好夫氏『文藝春秋』2月号に発表した評論「もはや『戦後』ではない」から始まり、同じ年の7月に出された経済企画庁編纂の逐次刊行物『年次経済報告』(別称として、『経済白書』)のサブタイトルに使用され、この年の流行語にもなったフレーズですね。

ところで、こんなニュースを観ました!

返還待つ紙幣、終戦記念日を前に虫干し(『読売新聞』平成22年8月5日)
といった見出しのニュースなのですが―

内容は、神戸税関(神戸市中央区)の職員が戦後の混乱期に海外から引き揚げてきた際に、 軍人や民間人など外地から引き揚げて来られた方々から預かった紙幣や証券類などを虫干ししている様子が映し出されていました。

この作業は持ち主や遺族に対し、引き取りを呼び掛けるために毎年8月に実施されているのだとか―

  • 終戦後、外地から引き揚げて来られた方々が、上陸地の税関か海運局に預けられた通貨・証券(※1)など

  • 外地の終結地において、在外公館や日本人自治会などに預けられた通貨や証券などのうち、その後日本に送還されたもの

※1
  • 通貨=旧日本銀行券、中華民国紙幣、満州中央銀行券、旧ソ連紙幣

  • 証券類=日本国債(大東亜戦争特別国庫債券、割増金付勧業債券、復興貯蓄債券、その他の債券)、預貯金証書通帳、生命保険証書

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終戦直後、海外資産は連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)の指示により、流通紙幣の量を抑える事でインフレを防止しようとした政策が採られ、一定額を超える所持金の持ち込みが制限されました。

(例1)昭和20年10月13日付「上陸地における引揚邦人の持帰り金等規制に関する件」(大蔵省)
(例2)昭和20年10月24日付「引揚者の国内持込資金の件」(GHQ覚書)

→持帰り金の交換・限度額・場所・交換比率等が規定され、日本銀行券、朝鮮銀行券、台湾銀行券、満州中央銀行券で、1人当たりの持帰り金は一般邦人・軍属が1000円、軍人の将校は500円、下士官以下200円の制限つきで交換可、その他の貴金属、残金額については領収書を発行して受け取り、後日為替清算をすると定められたのです。

その基準額として、200~1000円しか持ち込む事ができず、超過した現金などを引き揚げ者から預かったのだそうです。

ちなみに、神戸税関は神戸港と呉港(広島県呉市)、大竹港(同県大竹市)、宇品港(広島県)に帰国した約3万5000人から預かった現金や軍票、預金通帳、株券など有価証券など約15万5000点を保管している。その大半は、現在では無効な軍票や旧銀行券などですが、100円札などの高額紙幣も混じっているそうです。

昭和28年(1953)8月31日、外国為替及び外国貿易管理法の改正により、通貨・証券等の輸入禁止が解除され、翌日の9月1日から返還業務が始まっていますが、これまでに67%ほどしか返還されておらず、今なお多くの方々の通貨や証券等が保管されたままになっています。 また、年々問い合わせも減って来ているとの事―

返還の際には、税関が発行した「預かり証」が必要なのですが、「預かり証」がなくても引き揚げの事実や所有者との関係が証明できれば、本人でなく家族でも返還請求をする事ができるそうです。

神戸税関以外に―

大阪税関では、これまでに約2万2000人分(約6万6000件)が引き取られましたが、まだ約6割の持ち主が見つかっていません。

横浜税関では、昭和28年(1953)の返還業務開始以降、約5万人に返還されましたが、まだ約13万人分が残っているそうです。

長崎税関では、10万6000人分(16万4000件)を預かったうち、今も6万1000人分(9万1000件)がまだ保管されています。

門司税関では、2万7820人から8万2541点を預かったが、6591人分20849件が未返還な状態だとか…

大阪税関の職員は「苦労して日本に持ち帰った汗と涙の結晶。少しでも持ち主や家族にお返ししたい」と言っておられますよ。

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ところで、この逆のケースが、日本に強制移住させられた朝鮮民族の方々です。

実は終戦当時、日本には200万人近くの朝鮮民族が住んでいましたが、昭和20年(1945)暮れ頃から大掛かりな送還が促進される事になりました。

ところが、次第に朝鮮民族の帰国希望者が減少していきます。連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)は送還の中止に傾きますが、日本政府はなんとかもっと送還したいと訴えます。

平成12年(2000)に公開された資料によって、朝鮮民族送還の様子が明らかにされたのですが、連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)帰還担当のハウエル大佐と厚生省関係者の会話の中で、なかなか帰国しようとしない朝鮮民族に対して、厚生省側は「持参金の増額」か「強制送還」を認めてくれるように懇願したが、聞き入れてもらえず、結果として朝鮮民族の送還は中止する事が決定したのです。(日本としては可能な限り多くの朝鮮民族に送還してもらいたかったようですが…)(1946年3月「朝鮮人送還問題に関する連合司令部との会談」、平成12年(2000)12月20日付『朝日新聞』より)

その結局、朝鮮民族の送還は翌21年(1946)末まで続けられたものの希望者が増える事もなく、送還したのは約98万人で、約60万人が日本残留を選んだそうです。(「朝鮮人帰還輸送終了の件」(昭和21年=1946=12月)

ここで、朝鮮民族の方々が送還するにあたり、ネックとなったのが上記の持ち帰り金200~1000円という取り決めだったわけですね。

こうした返還業務の未処理な状態を見るにつけ、いまだ戦後補償=すなわちまだ“戦後”は終わっていないのだと痛感せざるを得ません!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)金太基『戦後日本政治と在日朝鮮人問題』(勁草書房)

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