戦時下の日本に存在した「非戦闘地区」箱根

「非戦闘地区」―現在、自衛隊の国際貢献活動云々で問題視される場合に屡々登場する用語ですね。

意味的には「直接武力攻撃を受けない地域」という事になります。

ここでは自衛隊云々の話ではなく、第二次世界大戦下の日本において、唯一(?)「非戦闘地区」だった場所が存在した事を述べていきましょう!

― ◇ ◇ ◇ ―

神奈川県の西部、箱根峠の東側に位置する足柄下郡箱根町は戦時中、B29が上空を通過するだけで一度も爆撃や空襲を受けませんでした。

昭和19年(1944)5月頃、箱根には、日本にとっての利益代表国でもある永世中立国のスイス、武装中立国のスウェーデン、政治的に中立の立場を採るヴァチカンの人たちが在住していた事もあって、 「政府はわが国の利益代表団であるスイスを通じて敵国側に対し『箱根地区を非戦闘地区に指定する』旨通知し」(『神奈川県警察史』中巻、776頁)ていたのです。

実際に、小田原や熱海などは頻繁に米陸海軍機の空襲を受けているにも関わらず、箱根は全く焼夷弾1つ落とされた形跡もなかったりします。

国立公文書館の資料によると、「ソ連大使館」が富士屋ホテルを借り切っていたり、ハンガリーやイタリア、中華民国、ドイツ、満州国、フィリピン、シャム(現、タイ)、ビルマ(現、ミャンマー)などの外交官たちも、強羅ごうらホテルや奈良屋旅館(Naraya Hotel)などに滞在していたそうです。

この時期に箱根に滞在していた外国人は、他にインド、フィリピン、アメリカ、イギリス、ルクセンブルグ、ポーランド、オランダ、オーストラリア、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、ポルトガル、ヴァチカン、スペインと多岐にわたり、その数は約30か国1360名にのぼります。

もちろん、これだけ多くの外国人が集まって来たのは、箱根が「非戦闘地区」である事を駐日大使館辺りから聞き及んでいたからに違いありませんね。

ところが―

一方で、この事実はほとんどの国民には知らされていませんでした。事実を知っていたのは、政府および陸海軍と警察の関係者だけだったのです。

当時、箱根の麓にあった敵性外国人収容所「神奈川第一抑留所」(現、南足柄市)勤務の巡査は次のように述懐しています―

戦争中に宮城野(箱根町)にいたスイスの利益代表者のケルンさんという人を通して収容所あたりを爆撃しないようにと、安全地帯になっていたんです(『戦時下の箱根』)

しかし、昭和20年(1945)7月になると、箱根にも本土決戦用の砲台などが構築され出します。

戦況がもっと長期化していたら、例え「非戦闘地区」に指定していても、戦災に遭っていたかもしれませんね!

― ◇ ◇ ◇ ―

※(関連)「硬骨の人」(『眠い人の植民地日記』)→

※(参照)古川愛哲『「八月十五日」は終戦記念日ではなかった』(ベスト新書293)
※(参照)小宮まゆみ「太平洋戦争下の『敵国人』抑留:日本国内に在住した英米系外国人の抑留について」(『お茶の水史学』43)


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posted by 御堂 at 22:21 | Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
山口久美子さま、

足跡が残っていたのは、以前に「眠い人の植民地日記」さまのブログ記事にてこの記事の引用元になる史料が掲載されていたので、引用する事の許可を得ようと書き込んだからです―

仰られるように、田中吉政に関する記事を観に行きました。ホント詳しい内容でしたね!
Posted by 御堂 at 2015年09月11日 18:11
御堂様
あの、「眠い人の植民地日記」さんのブログはすごいですね!
すごい量の資料、驚きますね。
さっき、田中吉政の岡崎と西尾の記事を見て、目からうろこです。
九州の歴史の先生たちも、あれだけは知らないと思います。
繋がってらっしゃるようですが、ネットでのお知り合いですか?
Posted by 山口久美子 at 2015年09月11日 15:08
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