歴史秘話ヒストリア「妻の私が支えねば〜天平のスーパーウーマン・光明皇后〜」

「歴史秘話ヒストリア」から光明皇后

NHK総合で放送している「歴史秘話ヒストリア」を観ました。今回、ピックアップされたのは、光明こうみょう皇后「妻の私が支えねば〜天平のスーパーウーマン・光明皇后〜」というテーマでの進行となります。

まずは予習として、

Q.光明皇后って誰?―

光明皇后奈良時代の女性で、聖武天皇の皇后。父は藤原不比等、母はあがた犬養いぬかい三千代(橘三千代)。名は安宿あすかべのひめ。通称として、光明皇后光明子こうみょうし藤三娘とうさんじょうと呼ばれています。以下、簡単な略歴を掲載―

大宝元年(701)安宿媛、藤原不比等と県犬養三千代(のち橘三千代)との間の三女として誕生
和銅4年(714)おびとの皇子(のちの聖武天皇)元服・立太子
霊亀2年(716)安宿媛(光明子)、首皇子の夫人ぶにん(律令制における天皇の后妃の称号で、皇后・妃に次ぐ地位)となる
養老2年(718)光明子、阿倍皇女(阿倍内親王、のちの孝謙・称徳天皇)を産む
養老7年(723)興福寺に施薬院せやくいん(中世以降は“やくいん”)・悲田院ひでんいんを建てる
神亀元年(724)首皇子が即位し、聖武天皇となる
神亀4年(727)聖武天皇、光明子との間に皇子某王誕生、皇太子とする
神亀5年(728)皇太子某王薨去こうきょ
神亀6年(729)長屋王の変
天平元年(729)藤原夫人光明子、聖武天皇のみことのりにより皇族以外から初めての人臣皇后(光明皇后)となる
天平元年(729)皇后宮職が設置される
天平2年(730)興福寺に施薬院・悲田院を置く
天平9年(737)疫病(天然痘)が大流行し、光明皇后の兄弟である藤原四子(武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂まろ)が相次いで薨去
天平10年(738)阿倍内親王(のちの孝謙・称徳天皇)を皇太子とする。
天平13年(741)国分寺、国分尼寺建立の詔が発せられ、その際に光明皇后は父・不比等の遺産の内から封弧3000戸を国分寺に施入する
天平16年(744)安積親王薨去
天平17年(745)旧皇后宮を宮寺に改める(法華寺=総国分尼寺、法華滅罪之寺=の創建)
天平19年(747)光明皇后、新薬師寺を建立。
天平21年(749)聖武天皇及び光明皇后、大僧正・行基を戒師として受戒し、出家する。聖武天皇の法名は「勝満」、光明皇后は「万福」と号す
天平勝宝元年(749)安倍内親王が即位して孝謙天皇となる
天平勝宝元年(749)皇后宮職を紫微中台しびちゅうだいに改める
天平勝宝4年(752)東大寺金堂(大仏殿)の盧舎那るしゃな仏坐像が完成し、開眼供養が催される
天平勝宝8歳(756)聖武太上天皇崩御
天平宝字4年(760)光明皇太后逝去せいきょ
―というように、

聖武天皇が皇太子の時代に結婚し、やがて阿倍内親王を出産。聖武天皇の即位に伴い、夫人の官位を授かります。

待望の皇子某王を産みますが、わずか1年後に夭折してしまいます。

長屋王の変後、聖武天皇より皇后にするとの詔が発せられて立后。王族以外から初めて立后した例となります。

その後、娘である阿倍内親王(のちの孝謙・称徳天皇)の立太子及び即位に伴い、臨時朝政をする意味で、皇后宮職紫微中台と改称し、甥である藤原仲麻呂恵美えみの押勝おしかつ)を長官に任じて様々な施策を行います。

夫である聖武太上天皇が崩御すると、後を追うかのようにその2年後に逝去します。

光明皇后は能書家としても知られており、正倉院に所蔵されている楽毅がっき論』(=おう羲之ぎし『楽毅論』を臨書した名品。「天平十六年十月三日藤三娘」と署名されてある)は有名な作品の1つである。

また、光明皇后は篤く仏教に帰依していて、『続日本紀』に記載された光明皇后逝去の条には、

東大寺、及び天下国分寺を創建する者は、本太后の勧むる所なり
との記述がみられ、光明皇后聖武天皇東大寺国分寺の建立を勧めた可能性を示唆しています。

仏教の庇護者としても様々な伝説も伝えられていて、

また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置し、慈善事業を催すなど、今日の社会福利厚生事業の先駆者としても有名である。

以下、エピソーソのピックアップ(番組からの引用)―

エピソード1 バリバリ働く皇后様登場!

奈良時代初め、聖武天皇の妻になった光明皇后。しかし、当時は天災や争乱が続く混乱の時代。仏教に深く帰依した光明皇后は民衆を救うため医療施設の運営など慈善事業に着手します。さらに災いが収まることを願い仏教を中心とした国造りを積極的にすすめていきます。聖武天皇の事業とされる大プロジェクトをプロデュースしたのも、実は光明皇后でした。

エピソード2 ようこそ!幻の巨大寺院へ

2年前に奈良市で見つかった巨大寺院の跡。光明皇后が聖武天皇の病気回復を願い建立し、平安時代に倒壊後、行方がわからなくなっていた新薬師寺の金堂跡と推定されました。古代建築や仏教美術の専門家が1年以上かけ、発掘成果の分析や古文書の解読などから幻の巨大寺院をCG復元。光明皇后の力と祈りの強さを伺わせる絢爛豪華な仏の大宇宙の全貌を紹介します。

エピソード3 妻の私が支えねば

跡継ぎの男子に恵まれなかった聖武天皇と光明皇后は長女の阿倍内親王を女性初の皇太子にします。しかしこの異例の人事に光明皇后の実家、藤原氏の台頭を危惧する他の貴族が反発、争乱がおこります。聖武天皇は病状が悪化し譲位。阿倍内親王が孝謙天皇として即位しますが、貴族の反発が強く経験も少ない彼女では国政がさらに混乱することは明らかでした。この事態に光明皇后は自ら政治の前面に立ち、中国の女帝・則天武后にならった改革を始めますが…
観てへんかった!って方は、再放送でチェックして観て下さい。再放送の放送予定は、

  • 7月21日(水)08:15〜08:58 NHK−BS2

  •     〃    16:05〜16:48 NHK総合

  • 7月23日(金)02:30〜03:13 NHK総合
となっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

実は、この光明皇后を採り上げる回は先に予告編を観た段階で興味を持っていたのですが、実際に観てかなり収穫のあった内容でしたね。

私にとって、光明皇后へのイメージはほぼ里中満智子さんの『女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語』の影響力が強く、その印象は“藤原氏をベースに権力に執着した人”ってなモノでしたが、藤原氏に限らず、国家ないしは民衆に向けてアプローチする姿はまさに新しい発見となりました。

加えて、ちょうど執筆途中の「武則天と武周革命」であったり、来月からCSで始まる「北魏馮太后」のネタを一層充実させ得るものでした。

そして、もう1つは今回、光明皇后役を演じられた坂本真衣さんという女優さん、結構役どころにハマってた感じです。(これが一番のキーポイントだったりする…笑)

これからドンドン時代劇モノに出演されへんかな、期待しよ!



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