「弁護士 布施辰治」

「弁護士 布施辰治」

明治末期から昭和前期にかけて、1人の刑事弁護士が弱者の味方となって活躍しました―布施辰治という人物です。

今年で布施が生誕してから130年。それを記念して、ドキュメンタリー映画が制作されました。

それが「弁護士 布施辰治」というものです。

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布施辰治は宮城県石巻市の農家に生まれました。東京において屈指の辣腕らつわん弁護士として知られていましたが、大正9年(1920)、40歳の時にトルストイの影響を受けて人道主義に共感し、以降、

  • 官権の人権蹂躙じゅうりんに泣く冤罪えんざい

  • 財閥の横暴の枉屈おうくつに悩む弱者

  • 心理の主張を圧迫する筆禍舌禍の言論犯

  • 無産階級の社会運動の迫害
などの事件に限り弁護活動をすると宣言します。

さらに、布施は弁護士の枠を超えて、社会運動家の1人として多くの事件に関わっていきます。なかでも、当時最も虐げられていたであろう―植民地である朝鮮や台湾の民衆、または強制連行された人々、くるわに縛られている娼婦や酌婦、貧しき借地借家人、労働者、小作人―の弁護に奔走するなど、そこには常に社会的弱者に対する温かい視線が感じられるのです。

日本で最初の普通選挙が行われた昭和3年(1928)には、日本共産党への弾圧として有名な三・一五事件の弁護を引き受け、弁護士資格を剥奪され、同14年(1939)に治安維持法違反で懲役2年の刑を受けます。

戦後、弁護士資格が回復されると、布施三鷹事件松川事件メーデー事件などの弁護活動を精力的にこなしますが、昭和28年(1953)9月13日、73歳でその生涯を閉じました。

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朝鮮人の弁護活動の最初として関わったのが、
  • 三・一独立運動(大正8年=1919)の直前に在日本留学生が東京で独立宣言を発表した二・八独立宣言事件で、チェ八龍パルヨンソン継白ゲベクなど「朝鮮青年独立団「朝鮮青年独立団」の関係者11人の弁護を引き受ける。

  • 大正12年(1923)に発生した関東大震災の折に起こった朝鮮人虐殺事件の真相究明に努める。

  • 大正13年(1924)には、東京で開かれた帝国議会に出席していた内閣総理大臣朝鮮総督を爆殺するため皇居・二重橋に爆弾を投げかけた義烈団(武力独立運動団体)のキム祉燮ジソプを弁護を引き受ける。

  • 大正15年(1926)には、天皇と皇族の爆殺を図るも事前に発覚し、逮捕されたパクヨル・金子文子大逆事件の弁護を引き受ける。
など、強者=大日本帝国から権利を認められない弱者=朝鮮人たちを救った、という事で、布施の功績は韓国で高く評価され、韓国政府は平成16年(2004)、、朝鮮独立運動に寄与した人物に与える「建国勲章」を、日本人では初めて布施に授与したのです。

布施の座右の銘があります―“生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために”

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公式ホームページはこちら→

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※(参照)韓国:「日本人シンドラー」に建国勲章 日本の植民地統治時代、独立運動家を弁護(毎日新聞2004-10-13)→


 

この記事へのコメント

  • 御堂

    茶々さん、こんばんは!

    布施辰治という人物は僕も偶然見つけました。

    あの時代にこういう反骨精神あふれる人物がいたなんてすごいですよね。

    それよりも、こちらも茶々さんの発掘により、大川常吉という人物を新たに知りました。もっともっと知りたい気持ちで一杯です!
    2010年09月01日 18:56
  • 茶々

    御堂さん、TBありがとうございます。

    布施辰治さん…初めて知りました。
    そして、もっと知りたいと思いました。

    すばらしい人を教えていただいてありがとうございました。
    2010年09月01日 13:33

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