ハイビジョン特集「銀閣よみがえる〜その500年の謎〜」

NHK BS-hiで放送されたハイビジョン特集「銀閣よみがえる〜その500年の謎〜」を観ました。

室町幕府第8代将軍・足利義政によって創建された東山殿(山荘)。現在は“銀閣寺”として親しまれるこの名刹で、大正2年(1913)以来となる3年がかりの大規模な解体調査・修理が行われました。

その結果、明らかになった様々な新事実から、今とはかなり違う創建当時の“銀閣寺”の様子が浮き彫りになったのです―
といった内容だったのですが、“銀閣”について、いささか書こうと思います。

― ◇ ◇ ◇ ―

“銀閣寺”、正式には臨済宗相国寺派、東山とうざん慈照寺と言います。

開基(創立者)は、室町幕府第8代将軍・足利義政、開山は夢窓むそう疎石そせきとされています。夢窓疎石は実際には創建時より1世紀程前の人物であり、このような例を勧請開山と云います。

義政は、寛正6年(1465)頃から東山殿経営のための土地の選定をしていたようです。しかし、間もなく起こった応仁・文明の乱(1467〜1477)により、計画は一時頓挫してしまいます。

争乱の最中にある文明5年(1473)、嗣子・義尚よしひさに将軍職を譲った義政は、 同12年(1480)頃より東山殿造営の計画を再開します。

そして、候補地として嘗て弟の義視よしみが居していた東山山麓の浄土寺が戦乱により焼失し、荒廃したままであるのに着目し、同14年(1482)、待望の東山殿の造営を始めます。

去四日武家浄土寺山荘事始(『後法興院政家記』文明14年2月8日条)
― ◇ ◇ ◇ ―

東山殿のモデルとなったのは、現在、“苔寺”として有名な西芳寺である(※1と云われています。

それは義政西芳寺に足繁く参詣していた以下の回数によっても明らかです。

・長祿元年(1457)3月14日、
・長祿2年(1458)2月30日、10月3日、
・長祿3年(1459)3月10日、10月7日、
・寛正元年(1460)3月20日、
・寛正2年(1461)2月27日、6月20日、10月4日、
・寛正3年(1462)6月23日、10月11日、
・寛正5年(1464)2月27日、
・寛正6年(1465)10月5日、
・文正元年(1466)閏2月21日、
・文明12年(1480)10月9日、

また、東山殿が如何に西芳寺を意識していたかをその伽藍配置を文献に記載された建造物から比較検討してみると、

西芳寺   東山殿
西来堂 … 東求堂
縮遠亭 … 超然亭
瑠璃殿 … 観音殿
邀月橋 … 龍背橋
指東庵 … 西指庵
湘南亭 … 釣秋亭
潭北亭 … 弄清亭
向上関 … 太玄関
合同船 … 夜泊船
の様に、見事な程に対応しており、東山殿西芳寺をモデルとして造られた様子が浮かび上がってきますね。


※1

但し、現在の西芳寺が“苔寺”と呼ばれる様になったのは、江戸時代末期の大洪水で枯山水かれさんすいの庭園が苔で覆われて以降の話であり、義政が参考にしたのは、“苔寺”と呼ばれる以前、すなわち創建当時の西芳寺の姿でしょうね。

― ◇ ◇ ◇ ―

当時は応仁・文明の乱が終息した直後で京都の経済はかなり疲弊していましたが、義政は前将軍という立場を大いに活用し、諸国に段銭たんせん(=臨時の税)や夫役ぶやく(労役)を課したり、鹿苑禅寺から石や松などを徴収するなどして、1年余りの工期を経て完成に至ります。

文明十五年癸卯六月廿七日、准三宮大相公(=義政)初移東山新府、…(中略)…天子(=後土御門天皇)降勅、賜名東山殿横川おうせん景三けいさん作詞「洞庭秋月」より、『補庵ほあん京華けいか別集』)文明15年6月27日条)
まず、つねの御所(日常生活の場)が落成し、次いで同17年(1485)に西指庵、翌18年(1486)には東求堂(持仏堂)、長享元年(1487)には御会所(文芸や遊芸、接客など社交のための場)、弄清亭が完成します。そうして同3年(1489)に念願の観音殿(“銀閣”)の上棟が行われます。

造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられましたが、義政自身は東山殿の完成を待たず、延徳2年(1490)正月に死去しまったので、その遺言により東山殿を禅寺に改め、相国寺の末寺「東山慈照寺」として創始されます。

戦国の世になり、慈照寺は何度となく、戦火にまみれます。それは、上述の中尾山に造られた物見櫓の存在でも判る様に慈照寺の場所が戦略上のポイントになっていたがために

第13代将軍・義晴及び第14代将軍・義輝三好勢との合戦、とくに永禄元年(1558)の如意ヶ岳の戦いにおいて勝ち誇った三好勢の掠奪行為などにより戦火にまみれ、東求堂と観音殿を残して大半の伽藍が焼失し、荒廃してしまいます。

東山殿の御旧蹟名のみ。あばらやの民の家にまじりて一宇見えおわんぬ(『多聞院日記』元亀元年3月20日条)
その後、天正13年(1585)より慶長17年(1612)の死去するまでの間、近衛前久さきひさの邸宅になっていました。

これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かった事や足利将軍家近衛家との婚姻関係にも関係があったのだと思われますが、実のところは近衛前久慈照寺の土地を押領していたようです。

前久の死後、慈照寺の土地は還付され、再び相国寺の末寺として再興されます。

― ◇ ◇ ◇ ―

慈照寺の復興計画が動き出したのが慶長20年(1615)6月の事で、宮城丹波守豊盛普請奉行に庭園が大改修され、

丹波(=豊盛)慈照古寺再建す。池水をうがち、庭を掃き除き、梵字一新す。新奇観る可し(『鹿苑日録』慶長20年閏6月17日条)
と生まれ変わり、さらに寛永16年(1639)には、その孫である豊嗣によって方丈(本堂)が再建されるなど、大々的な修理事業が施される、という様に、観音殿(“銀閣”)の位置といい、景観といい、ほぼ現在の慈照寺に等しい姿に整備されたのです。

そうした意味合いから、現在の慈照寺については、多分に宮城氏一族の作品といっても過言ではないと思われます。

という事は、現在そびえ立つ銀閣宮城氏一族がその当時描いていた構想を具現化したもの―という解釈もできますね。

つまり、義政が構想していた東山殿当時の銀閣=観音殿とは幾分かイメージが異なるかもしれない―という事だって考えられるのです。

― ◇ ◇ ◇ ―

観音殿(“銀閣”)は創建時に銀箔が押されていたかどうかを巡って様々な論議が繰り返されてきました。すなわち、

  • 金箔で押された義満鹿苑寺舎利殿(“金閣”)に対し、観音殿(“銀閣”)も銀箔が押されていた

  • 当初は銀箔を押す予定であったが、幕府の財政事情か、あるいは義政の死去で実現しなかった

  • 錦鏡池の反射光が漆塗の外壁に映って銀色に輝いて見えた
等々―様々な諸説が飛び交っていたのですが、

観音殿(“銀閣”)が上棟された長享3年(1489)から85年が過ぎた天正2年(1574)に描かれたという『洛中洛外図屏風』には「東山殿」と記載されている。

江戸時代に入った万治元年(1658)に刊行された『洛陽名所集』には「慈照寺」と記載され、

銀薄にて彩しければ、銀閣寺とも云うなり
との補足があるので、この頃から “銀閣寺”の名で呼称されたようです。

さらに下って幕末頃の元治元年(1864)に刊行された『花洛名所図会ずえにはもう完全に「銀閣」との記載がなされています。

― ◇ ◇ ◇ ―

現在、“銀閣寺”への参詣に訪れる観光客の見処の1つとなっている向月台こうげつだい銀沙灘ぎんしゃだんですが、これらは江戸時代後期に造られたもので、創建時の足利義政の構想には全くなかった代物です。

享保20年(1735)刊行の『築山庭造伝』には未だ記載がありません。

安永9年(1780)刊行の『都名所図会』には両者共に見られますが、向月台は高さが低く、渦巻き状態で描かれています。

寛政11年(1799)刊行の『都林泉名勝図会』にも両者が描かれているが、銀沙灘の形が変化しており、向月台も僅かだが盛り上がっています。

元治元年(1864)刊行の『花洛名所図会』には現在と同じ姿で描かれています。

つまり、観音殿(“銀閣”)も住む場所から、物見遊山=観光の場所へと変貌した事がこうした変遷から浮かび上がってきますね。

これらは、江戸時代になって“銀閣寺”へ参詣に訪れる観光客の目を惹こうとして考え出されたアイデアだった訳です。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、平成19年(2007)に行われた調査で、X線による元素分析とICP/MS(誘導結合プラズマ質量分析法)という極少量の元素も検出可能な検査方法によって、外壁の一部から試料を採取して実施された結果、銀は検出されませんでした。すなわち、創建当時から銀箔は押されていなかったのです。

その代わり、新しい発見がありました―

2階の外壁に塗られた彩色の成分分析を行った結果、白土と明礬みょうばんが検出されました。

実験的に、檜材の上に漆を塗って下地を作り、その上に接着剤としてにかわを加えた白土を塗り重ねた結果、鮮やかな白さが彩られたのです。

そうなると、“銀閣”の由来というのは銀箔が押されていた事で銀色の輝きを照らしていた訳では決してなく、白土が外壁に塗装されていた事で、鮮やかな白さが月の光に映えて、銀色のように輝いて観えたから“銀閣”の呼ばれたのでしょうね?


  


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