水戸藩開藩400年映画「桜田門外ノ変」


水戸藩開藩400年を記念した映画「桜田門外ノ変」が制作されます。今年秋以降に全国公開予定だそうです。

原作である吉村昭氏の『桜田門外ノ変』にベースに、幕府の大老・井伊直弼襲撃の現場指揮者である主人公、関鉄之介の視点で桜田門外の変を描いた作品。

映画「桜田門外ノ変」 映画「桜田門外ノ変」

主な配役として、
  • 関鉄之介(水戸藩・北郡務方、桜田門外の変現場指揮者)→文久2年(1862)斬首
    =大沢たかおさん

  • 茅根ちのね伊予之介為宜(郡奉行奥右筆頭取小姓頭取)→安政6年(1859)安政の大獄で斬死
    =須賀貴匡さん
  • 野村常之介(水戸藩・北郡奉行、鉄之介の上司)
    =西村雅彦さん
  • 岡部三十郎忠吉(水戸藩・小普請役、桜田門外の変の際、検視見届役)→文久元年(1861)斬首
    =渡辺裕之さん

  • 高橋多一郎愛諸(水戸藩・奥右筆頭取)
    →安政7年(1860)自刃
    =生瀬勝久さん
  • 高橋荘左衛門諸恵(多一郎の息、弘道館諸生)
    →安政7年(1860)自刃
    =須賀健太さん
  • 金子孫二郎教孝(水戸藩・南郡奉行)
    →文久元年(1861)斬首
    =柄本明さん
  • 佐藤鉄三郎寛(水戸藩士)
    →国許より追放刑
    =渡部豪太さん
  • 桜岡源次衛門(常陸国久慈郡袋田村=現、大子町
    =大庄屋、鉄之介を匿う、のち天狗党に参加)=本田博太郎さん
  • 与一(袋田村大庄屋桜岡家の使用人)
    =温水洋一さん

  • 関ふさ(鉄之介の妻)
    =長谷川京子さん
  • 関誠一郎(鉄之介の息)
    =加藤清史郎さん
  • 滝本いの(関鉄之介の情人、元吉原谷本楼の妓滝本)
    →伝馬町牢で拷問により獄死
    =中村ゆりさん

  • 武田耕雲斎正生(水戸藩執政、のち天狗党首領)
    =榎本孝明さん

  • 稲田重蔵正辰(水戸藩・郡方、内元取締)
    →安政7年(1960)闘死
    =田中要次さん
  • 佐野竹之介光明(水戸藩・小姓組)
    →安政7年(1860)傷害死
    =颯太さん
  • 大関和七郎増美(水戸藩・大番組)
    →文久元年(1861)斬首
    =松本寛也さん
  • 有村次左衛門兼清(薩摩藩士)
    →安政7年(1960)自刃
    =坂東巳之助さん(10代目坂東三津五郎さんの長男)

  • 安藤龍介(水戸藩士、関鉄之介の捕吏指揮官)
    =北村有起哉さん
  • 坂口勇右衛門(薩摩藩の捕吏、金子孫二郎を捕縛)
    =沢井小次郎

  • 松平春嶽(越前福井藩主)
    =池内博之さん
  • 徳川慶恕よしくみ(のち慶勝)(尾張徳川家当主、尾張藩、のち尾張名古屋藩主)
    =川野太郎さん
  • 井伊直弼(幕府大老、近江彦根藩主)
    =伊武雅刀さん
  • 徳川斉昭(烈公、水戸徳川家当主、常陸水戸藩主)
    =北大路欣也さん

の皆さんが競演されます。

この記事へのコメント

  • 御堂

    春次哲介さま、初めまして、当ブログへの来訪&コメント、ありがとうございます。

    今日から「柘榴坂の仇討」が公開されますね。原作は読み終えているので、結末は知っているのですが、映像表現の上でどう描かれているのか観てみたいですね。

    >本籍は港区虎ノ門、小学校は愛宕神社下、中学は御成門(増上寺)、校内マラソンは愛宕下通り一周という環境にありました。
    >歴史掘りあての心境を一言でいったらどんなものですか?

    素敵な環境にお住まいですね。京都風に言えば京都御所の周辺部に住んでる―て感じかな?
    最近は土地開発の方が最優先されて何か発見があっても無視されるのが現状ですね。私の住む宇治でも宇治川の川べりから豊臣秀吉が宇治川の川の流れを変えた際に造ったとされる「太閤堤」が発見しましたが、調査した後は埋め戻したようです。当初は、その場所にマンションが建つ予定で発掘調査が行われ、たまたま遺跡が発見されただけの事―というのが土地開発=生活を最優先する人たちの考え方で、価値が高ければ保存、低ければ埋没、というのが世の中の風潮のようです。

    私は“墓掘りの現場”(=考古学)ではなく、古文書を読み解く(=文献史学)という分野を選びました。こちらはこちらで、楽しさや面白さが違う感じ!例えば、1000年以上も前に書かれた貴族の日記に書かれた内容が、いざ調べてみるとぴったりと合致していたりすると、我ながら感動しきり…なんですよね。最近では、住んでいる街・宇治を中心とした成果を書こうと孤軍奮闘中です。

    歴史って兎角、やれ源頼朝がどうとか、織田信長や豊臣秀吉がどうしたなど政治史中心に語る傾向があります。(教科書がそうだから、仕方のない事かもしれないけど…)でも、歴史ってそれだけじゃなくて、まずは自分の生まれ育った場所の歴史を探ってみても面白いんじゃないでしょうか!教科書に載るような偉人はいないけど、調べてみたら文化人でこんな人物がいた(例えば、日本で初めて麻酔手術を行った華岡青洲など)とかあるはずですから…

    歴史って色々な角度からアプローチできるもので、政治史であったり、文学史、土地制度史や経済史、美術史やスポーツの歴史なんかもそう!こうした学問を全部ひっくるめたのが歴史学だと思うんですよね。

    春次哲介さんの住む場所って、いわば“歴史の宝庫”ですよね。『御宿かわせみ』や『鬼平犯科帳』などしかり、「江戸」を見直す、とかが現在ブームのようです。ましてや、東京に再びオリンピックが来るとなると、先の東京五輪や高度経済成長などで失ってしまった江戸の風情の如く、まだかすかに残っている江戸の風情が完全に東京の中に埋没する可能性も考えられますね。春次哲介さんが「こういう事ならできるかも!」って事があればそれを実践してみて下さい。可能性は無限だから…
    2014年09月20日 10:26
  • 春 次 哲 介

    9月20日に「桜田門外の変」がらみでまた映画が封切られますね。本籍は港区虎ノ門、小学校は愛宕神社下、中学は御成門(増上寺)、校内マラソンは愛宕下通り一周という環境にありました。こうなりゃ「鰻とたれ」みたいなもので拙宅から歴史切り離しは無効とほざいて、関鉄太郎が最後の打ち合わせをした愛宕茶屋へ久しぶりに行ってきましたら、ぶっこわされててっぺんにビルが建っていました。(結構長い間売りでした)歴史より食う方が先だと分かり残念。ところで、歴史掘りあての心境を一言でいったらどんなものですか?
    Posted by S.KAYATO 16,09,'14
    2014年09月16日 15:32
  • 御堂

    まけこさん、来訪&コメント、サンクスです!
    以下、調べてみました―

    野村常之介=正確には野村彝之介は桜田門外の変の後、関鉄之介らと大坂に入りますが、事叶わず失敗に終わり、一旦は水戸藩の領内に潜伏します。
    その後は老中・安藤信正襲撃計画(=文久2年(1862)正月15日に起こる坂下門外の変)を謀ったり、前越前藩主・松平慶永を訪問し、水戸藩の窮状を訴えたりしますが、藩内に強制送還されてしまいます。
    やがて、水戸藩主・徳川慶篤により罪を赦免され、水戸藩士としての地位は回復(→奥右筆頭取に就いている)し、慶篤の側近(側用人)として天狗党の挙兵など藩政混乱の収拾するために水戸~京都間を行き来します。
    明治元年(1868)、在京の水戸藩家老・鈴木重義を助けて、天狗党派として勅命を奉じて帰国し、市川三左衛門ら諸生党派(=水戸藩の保守・門閥派で、改革派である天狗党に対し、藩校・弘道館の諸生(書生)が多かったため諸生党派と称した)を追討(弘道館戦争)し、戊辰戦争(奥羽戦争)にも従軍します。
    維新回天の後は水戸藩の重鎮(参事)を務め、廃藩置県後は茨城県典事(=主任クラス)となりますが、まもなく辞職して、徳川家の家政を務めて以降、晩年は常磐神社宮司を務めるなどして、明治21年(1888)年8月2日、65歳で天寿を全うします。

    有村のお兄さん=有村雄助は桜田門外の変の後、それに呼応する形で水戸藩士・金子孫二郎と共に江戸を脱して京都に向かいますが、幕府によって藩士が捕らえられる事を恐れた薩摩藩によって、伊勢四日市辺りで有村らを捕縛。しばらくは大坂藩邸に身柄を置きますが、すぐに鹿児島に護送されます。万延元年(1860)3月24日、幕府の探索の手が鹿児島に迫るに及び、藩命によって自刃させられます。
    2011年09月07日 07:05
  • まけこ

    教えてください。野村常之介と薩摩藩 有村のお兄さんはその後どうなったのでしょうか?
    すごく気になって桜田門の変を何回の戻して見ましたが、描いてなかったようです。

    おわかりになりますか?
    2011年09月07日 03:16

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