NHK土曜時代劇「咲くやこの花」

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来年度の1月から始まるNHK土曜時代劇の情報です。

番組のタイトルは「咲くやこの花」(全10話)というもの。

性格が地味で、目立たず生きる事こそが信条、というちょっと変わった娘・こい。

そんな彼女にも得意分野がある、それが“百人一首”でした。

ある日、そんな彼女に降ってわいたような出来事が巻き起こります。

こいの親が見栄をはってしまったがために、大江戸かるた大会に出場する破目になったのです。

しかし、あれよあれよと勝ち進むうちに優勝し、こいの存在は江戸町中の注目の的となります。

その評判がさらに広がり、江戸城内における大会に出場し、大奥代表と御前試合をする事になります。

また、仇討ちを志す浪人・由良と出会い、心を触れ合ううちに芽生えた恋心模様など―自分の変化に戸惑いながらも、前向きに、思い切り生きる事の大切さを知り、1人の女性として成長してく姿を描いた作品となっています。

主な配役は、
  • こい=成海璃子さん


  • 深堂由良=平岡祐太さん

  • →由良は曽禰好忠が詠んだ「由良を/渡る舟人/梶を絶え/行方も知らぬ/恋の道かな」から来てるんでしょうね(笑)

  • こいの母、そめ=余貴美子さん…深川で漬物屋「ただみ屋」を営む。しのの父・信助とは幼馴染

  • →「ただみ屋」って事は壬生忠見から来てるんでしょうね。そうだとすれば、「恋すてふ/我が名なはまだき/立ちにけり/人知れずこそ/思ひそめしか」って事ですかね、おそめさん!(笑)

  • 信助=佐野史郎さん…「ただみ屋」の隣に住み、うなぎ屋「金森屋」を営む。しのの父。こいの母・そめとは幼馴染だが、顔を合わせると喧嘩が絶えない

  • →「かなもりや」は平兼盛から来てるんでしょうね。この兼盛は天徳4年(960)の「天徳内裏歌合」において壬生忠見と競い、勝利を呼び込みました。自分の立身出世をかけていた壬生忠見は、悲嘆にくれて絶食し、そのまま死んでしまったという故事をからめて、「ただみ屋」と「金森屋」は喧嘩が絶えない設定って訳ですね(笑)

  • しの=寺田有希さん…「金森屋」の一人娘

  • →おしのちゃんは、平兼盛の「しのぶれど/色にいでにけり/わが恋は/物や思ふと/人のとふまで」から来てるのでしょう(笑)

  • 門田伯耆守稲葉=寺田農さん…芦川藩藩主で幕府若年寄。「大江戸かるた腕競べ」を企画する

  • →門田の稲葉って事は、大納言経信(=源経信)が詠んだ「夕されば/門田の稲葉いなは/おとづれて/蘆のまろやに/秋風ぞ吹く」から来てますよね、ゼッタイ!(笑)

  • 百敷屋徳兵衛=大和田伸也さん…呉服屋「百敷屋ももしきや」の主人

  • 順軒(順之助)=内田滋さん…「百敷屋」の若旦那

  • →「ももしきや」も順徳院が詠んだ「百敷や/古き軒端の/しのぶにも/なほ余りある/昔なりけり」から来たものでしょう(笑)しかも…徳兵衛さんの「徳」、順之助の「順」で順徳院を表してますもんね(笑)

  • こいの寺子屋(嵐雪堂)時代の先生、佐生さそうはな=松坂慶子さん

  • →「さそう・はな」も「花さそふ」から来てると思うので、入道前太政大臣(=西園寺公経)が詠んだ「花さそふの庭の/ならで/ふりゆくものは/わが身なりけり」から来てるのが判ります。しかも「嵐」と「雪」→「嵐雪堂」ですもんね(笑)

  • 徳川家斉=寺泉憲さん


  • 語り・藤原定家=中村梅雀さん
脚本はNHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」でお馴染みの藤本有紀さんだし、かなり期待できそうな感じ!

因みに、番組タイトルの「咲くやこの花」は、『古今和歌集』の序文に詠われた「難波津に/咲くやこの花/冬ごもり/今は春べと/咲くやこの花」から来ていて、7世紀頃の地層から発掘された、万葉かなで書かれた木簡にも「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」とある程で、最近では競技かるたの開始時に詠まれる「序歌」としても有名ですね。

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各話タイトルは、
  1. めぐりあひて

  2. →『源氏物語』を著した紫式部(越後守為時むすめ)が詠んだ「めぐりあひて/見みしやそれとも/わかぬ間まに/ 雲がくれにし/夜半の月つきかな」から来てますね!

  3. 君がため

  4. →光孝天皇が詠まれた「君がため/春の野のに出いでて/若菜つむ/我が衣手でに 雪は降ふりつつ」から来てるでしょう!
      
  5. 嘆きつつ

  6. →『蜻蛉日記』で有名な右大将道綱母(藤原道綱母)が詠んだ「嘆きつつ/独り寝る夜の/明くる間は/いかに久しき/物とかは知る」から来たものと…

  7. 嵐吹く

  8. →能因法師が詠んだ「嵐吹く/三室の山の/紅葉葉は/竜田の川の/錦なりけり」ですね…

  9. 来ぬ人を

  10. →勅撰集『新古今和歌集』や『新勅撰和歌集』の撰者であり、『明月記』を著した藤原北家御子左流、権中納言定家ていか(藤原定家さだいえ)が詠んだ「来ぬ人を/まつ帆の浦の/夕なぎに/やくや藻塩の/身もこがれつつ」ですね…

  11. 花さそふ

  12. →鎌倉時代の初期に幕府とのパイプ役(=関東申次)や太政大臣として朝廷に君臨し、絶大な権勢を誇った入道前太政大臣(=西園寺公経)が詠んだ「花さそふ/嵐の庭の/雪ならで/ふりゆくものは/わが身なりけり」ですね・・・お師匠さま(はな先生)がおこいちゃんの姿を見て何やら一念発起な予感!

  13. みをつくしても

  14. →平安時代の皇族で陽成院(上皇)の第一皇子(譲位、出家後の出生ですが…)である元良親王が詠んだ「わびぬれば/今はたおなじ/難波なる/みをつくしても/逢わむとぞ思ふ」から来てますね。この歌は、元良親王が寛平法皇(宇多法皇)の寵妃である藤原褒子(ふじわらのほうし)を想って詠んだものらしいです。因みに、寛平法皇(宇多法皇)は藤原褒子は六条京極に在った河原院に住まわせていたので京極御息所とか六条御息所と呼ばれていたそうです。六条御息所ってオイオイ!(笑)

  15. 恋ぞつもりて

  16. →陽成院(上皇)が詠まれた「筑波の/嶺より落つる/みなの川/恋ぞつもりて/淵となりぬる」から来てます。陽成院(上皇)は、清和天皇の第一皇子、母は藤原高子たかいこ。生後3か月で立太子、9歳で清和天皇から譲位され即位します。しかし、在位8年目に宮中で起こった殺人事件を理由に摂政・藤原基経によって“暴君”と噂されて退位を迫られ、病気という表面上の理由により退位します。

    陽成院(上皇)には、想いを寄せていた女性がおり、それが寛平法皇(宇多天皇)の妹宮、釣殿宮つりどののみや綏子やすこ内親王でした。その後、2人は陽成院(上皇)は譲位後に妃となるのです。

  17. 今日を限りの

  18. →平安時代の女流歌人で女房三十六歌仙に数えられる儀同三司母ぎどうさんしのはは(=高階貴子)が詠んだ「忘れじの/行く末までは/かた<ければ/今日を限りの/命ともがな」から来てます。

    高階貴子は中関白家・藤原道隆と結婚しますが、その長男として伊周が誕生します。道隆の死後、叔父の道長との抗争に敗れますが赦免され復権した際に准大臣(=大臣に准ずる待遇)を与えられたのを伊周が中国の後漢の時代、高級武官や皇帝の外戚に三司、すなわち三公(太尉・司徒・司空)と同等の待遇を与えた「儀、三司に同じくす」というエピソードを日本風に当て込み、自分も「三公(太政大臣・左大臣・右大臣)と同じ待遇」という意で「儀同三司」と自称したんですね。(公的には官途名の前大宰権帥(『日本紀略』)と呼ばれていたので、「儀同三司」はペンネームのようなもの…)その「儀同三司」の母なのでこのように呼ばれたようですね。・・・勝ち上がったおこいの相手は何と、おはな先生なんですが…

  19. 今は春辺と

  20. →最終回はやはり上述しました『古今和歌集』の序文であり、競技かるたの「序歌」である「難波津に/咲くやこの花/冬ごもり/今は春べと/咲くやこの花」から来ましたね。『古今和歌集』の歌全体のイメージってどちらかと言えば「希望」や「開拓精神」に満ちたものが多いのが特徴ですね。(これに対し、のちに編まれた『新古今和歌集』は古今への憧憬が多く、「あの頃は良かったなぁ」と詠嘆する様なイメージばかりなんですよね)そうすると、おこいちゃんにとっての“春”はどんな春が待っているのかな?
◇放送予定
・BSハイビジョンでは、 1月8日〜 毎週金曜 午後6時より
・総合・デジタル総合では、1月9日〜 毎週土曜 午後7時30分より

それぞれ放送スタートです!

― ◇ ◇ ◇ ―

この「咲やこの花」については、久々に観てもいいかな!と思える感じですね。これまで、「陽炎の辻」だったり、「オトコマエ!」だったりと男の時代劇ファンとすれば少々物足りなさを感じる作品(個人的にチャンバラものは大嫌い!なので…)が続いていましたので、ある意味新鮮な気持ちで観られるかな?)

それにしても、“百人一首”とは何と懐かしい!昔、学年別の大会で優勝した事があります。初めて買ってもらった“百人一首”がカセットテープ付きのヤツだったので、カセットを流しては、よく遊んだりもしましたし…。

高校の時の古文の授業(選択授業でした…)では、僕の配属されたクラスは端数(3クラ目の最後)で22名しかいなかったので、机を真ん中に集めて、周りを囲んで22名のみんなで“百人一首”をしたんですよ。楽しかったなぁー!(笑)

番組の公式サイトでの「作者のことば」の中で述べられた藤本有紀さんのことばにこんなのがありました。以下、引用です―
子どもの頃、お正月にはよく家族で百人一首かるたをしました。
家族それぞれになんとなく「好きな歌」があって、みんな、その札だけは取られまいとしていました。
スポーツでもなんでもそうだと思いますが、親となにかを競い合っていると、あるとき突然に、自分のほうが強くなっていることに気がつく瞬間があります。
わが家の百人一首でも、そのときが訪れました。
ある年のお正月、父のお気に入りの歌が読まれたのに、父はその札をいつまでも見つけられずに探しているのです。
私はとうの昔に見つけていましたが、身を乗り出して懸命に探している父を見ていると、先に手を出すことができませんでした。
やがて父が札を見つけて取りました。父はとても満足げで、私はどうしようもなく泣けてきました。
そのことを、どういういきさつだったか学校の国語の女の先生に話すと、先生は泣き出してしまいました。
その感受性に、私はひどく驚きました―
読み通してみて、私自身も泣けてきました。上記にもある様に私が初めて買ってもらった“百人一首”は実は母方の祖父に買ってもらったのですが、藤本有紀さんのお父さんと同じ状況が祖父にもあったのです。

実は、祖父は盛岡の寺の跡継ぎ(=長男)だったのですが、同郷の石川啄木に憧れて家を飛び出し、東京に出て来たという経歴があるのです。

東京に出た祖父は自然主義やプロレタリア文学に傾倒していて、身を起てようとしますが中々そう上手くは行かなかったようです。

祖母も東京の祖父の許に行くのですが、祖父の許には愛人さんが侍っていたのだとか…(昔語りでよく母や叔父、叔母などは「そういう所まで、真似んでもええのに!」って祖母が気苦労をした様子などを語っていました 笑)

折り悪く、関東大震災が発生し、祖父の夢は絶たれてしまうのですけどね…

私が小学校に入学した時、祖父は“百人一首”を買ってくれて、「じゃあ、皆でやろうよ!」って事で始めます。

やがて、祖父のお気に入りの歌が詠まれた際、同じ様に家族の皆がが祖父がその札を探し当てるまで待ちました。

そして見つけ出すと勿論、祖父は自慢げでしたし、周りのみんなもやんやの喝采でした。

その年の12月、祖父は亡くなりますが、でも私にとってはいつまでも大切な時間として記憶にとどめています。

そして何よりも“百人一首”を知ったおかげで、文学や歴史などを好きになった訳で、そんな世界に導いてくれた祖父の形見でもあり、大切な物でもあるんですよね…

ps.藤本有紀さんのことばで、話を聞いて泣かれたという国語の先生の感受性―私も共感できます。こうした感性はなくさずに持ち続けたいな!!

― ◇ ◇ ◇ ―


番組の主題歌になっている、初音さんが唄う♪また逢いたい♪というバラード調の曲、すごく親しみ易くて結構いい感じです!


   


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posted by 御堂 at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史:ドラマ
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