金栗四三選手、54年8か月と6日5時間32分20秒3でゴール!―ストックホルム五輪

金栗四三というマラソンの選手がおられたのをご存知ですか?

日本における“マラソンの父”と称される金栗選手ですが、金栗選手の五輪初出場となったストックホルム五輪のオリンピック委員会との微笑ましいエピソードがります。

― ◇ ◇ ◇ ―

明治44年(1911)、翌45年(1912)に開催されるストックホルム五輪に向けたマラソンの予選会に出場した金栗選手は、当時の世界記録(但し、当時は40・225km)を27分も縮める大記録を出し、日本人初のオリンピック代表選手となります。

そうして迎えたストックホルム五輪でのマラソン競技当日。

普通なら、競技を棄権したということになるのでしょうが、これも手違いで棄権の意思が大会本部に伝わらず、金栗選手は「競技中に失踪し行方不明」とされてしまいました。

この日のストックホルムは、気温32℃を超す記録的な暑さの中で競技が始まりました。レースへの参加者68名中、およそ半数が途中棄権し、完走したのは34人。そのうち、レース中の29km地点で気を失って倒れたポルトガルの選手は脱水症状がもとで翌日に亡くなっています。

金栗選手は出場選手68人中、最後尾の集団で競技場を後にしたようです。(→映像が残っていたのだとか―)

また、当時の資料から15km地点で48位まで順位を上げた状況も確認できています。

しかし、他の選手と同様にレース途中に暑さからくる日射病で意識を失い、約26・7km付近で沿道の農家で介抱されたようです。

金栗選手が目を覚ましたのは、翌日の朝…既に競技は終わっています。

金栗選手はこの後、上着を借り、近くの駅から列車に乗って宿舎へ戻ったのだそうです。

金栗選手にとって、不運だったのは、当時、日本からスウェーデンへの移動は船や列車を乗り継いでの旅で、約18日間もかかったそうです。

ましてや、スウェーデンの夜は明るいため、十分な睡眠も取れない様態でもありました。

さらには、マラソン競技当日、金栗選手を迎えに来るはずの車が来ず、金栗選手は競技場まで走っていったのだとか―(オイオイ、アカンって!)

こうして、結果としては、途中棄権という形で金栗選手のマラソン競技は終わった事になります。

― ◇ ◇ ◇ ―

ところが、スウェーデンでは金栗選手が、マラソンコースの途中にある町・ソーレンツナ(Sollentuna)のある家庭で、お庭でのお茶とお菓子に誘われ、それをご馳走になって、そのままマラソンを中断したのだ、と理解されていたなど、金栗選手が競技場に戻って来ない状況は様々な憶測が臆測を呼び拡げる事となり、「森を彷徨(さまよ)い続けいるのではないか」という噂が立って、有名なスポーツ記者が「森で彷徨(さまよ)っている日本人がいたら、レースは終わったと伝えてください」と呼び掛けたりしたのだとか―

すなわち、競技委員会の方々は「金栗選手が行方不明になった」として騒然となり、“消えた日本人”として金栗四三の名が刻まれたのです。

その後、金栗選手にとっては不遇な時期が続きます。ベルリン五輪(大正5年=1916)は、第一次世界大戦のため出場する事叶わず、アントワープ五輪(大正9年=1920)、パリ五輪(大正13年=1924)の両大会にはマラソン代表として出場しますが、アントワープは16位、パリは途中棄権に終わっています。

― ◇ ◇ ◇ ―

さて、昭和42年(1967)3月、金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルム五輪開催55周年を記念する式典に招待されます。

ストックホルム五輪の際、金栗選手自身の口から棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われていました。

記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、「是非とも金栗選手にゴールしてもらおう」と記念式典で“消えた日本人”をゴールさせようという機運が盛り上がります。

招待を受けた75歳の金栗選手は55年振りにストックホルムを訪れ、コート姿のままで直線距離100m程を駆け抜けて、競技場内に用意されたゴールテープを切ります。

昭和42年3月21日、54年8か月と6日5時間32分20秒3でゴールした瞬間の金栗四三選手。実に75歳の姿


ゴールを果たした瞬間、「日本の金栗が只今ゴール。タイムは54年8か月6日5時間32分20秒3…。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされ、金栗選手の姿はスウェーデンの公共テレビで放送されたのです。

インタビューに対し、金栗選手は「子供がたくさんおりまして、暇がなかったんです。子供が大きくなりましたからやってきました」と質朴な言葉で返したそうです。

― ◇ ◇ ◇ ―

100年前、日本から初めて五輪に参加した金栗選手は、今現在も“消えた日本人”としてストックホルムの人々の間に息づいているようです。

ストックホルム五輪を記念して建てられた記念館に見学に来るスウェーデンの子供たちは、館内に展示されている金栗選手の写真を観て、親しみを込めて「あ、牛乳パックの人だ」って言うのだとか―

今年の春、ヨーロッパ最大規模の乳製品メーカー「Arla Foods(アーラ フーズ)が、販売している牛乳パックに小話的なあるある話を挿絵と共に紹介しているのですが、そこに「消えた後、約55年かけゴールした“伝説”」として金栗選手の事が掲載されたそうです―

彼は沿道の家で、お茶に招待されていて、それを恥ずかしいと思ったので何も言わずに日本に帰ってしまった
って感じにね!

いかがです!いきな計らいをしたスウェーデンのオリンピック委員会もそうですが、語り継いでくれているスウェーデンの人々もすごいよね!


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posted by 御堂 at 22:48 | Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史:コラム
この記事へのコメント
このことは少し前に放送された<知ってるつもり>と言う番組で観たことがあります。
ゴールへ向かう本人の表情が満面の笑みで観ていて何故か涙をもらいました。
こんな素敵な話をつくるのもオリンピックなのだと感じました。
それにしてもストックホルムは粋な計らいでこの大会を何十年と言う歳月に掛け運営し見事な閉会式に転じました、7年後の東京も永遠に人々の心に残る大会にできたらと願います。
Posted by POP at 2013年09月23日 00:14
ストックホルムスタジアムでゴールした金栗さんの画像をスウェーデンテレビで見たことがあります。
もうそんな前になるんですね!
Posted by 井上文男 at 2013年09月06日 01:06
金栗選手のひ孫が金栗選手を介抱した農家の子孫の家を訪問し介抱して頂いたお礼をしたとのことです。
Posted by 田中 博之 at 2013年04月07日 07:43
ロンドンオリンピックのこの夏、良い話ですね。
最長マラソン記録としてギネスに載るとか載らないとか?こんなユーモアでみんなが共感できれば戦いなんかつまらないもんだと思うと思うよ。
Posted by 城口 吉隆 at 2012年08月15日 15:54
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