時は天文19年(1550)、戦国時代の真っ只中―
京都は上京川端の辺りで幕府方の細川晴元軍と三好
その模様については、以下のリポートからどうぞ!
三好
リポートしたのは、公家の山科
そのリポ−トによれば、
三好方の「日向守」(三好
との事。
つまり、 日本国内において鉄砲が実戦使用された最初の記念すべき記録であり、最初の戦死者も伝えている訳なんですよね。
15世紀にヨーロッパから東アジアへ鉄砲が伝わってくる中、日本の種子島に伝来したのが天文12年(1543)8月25日の事。
以降、鉄砲は和泉堺や紀伊根来、近江国友など各地で生産され、足利将軍家を含め多くの戦国大名が鉄砲装備の充実に力を注いでいきます。
殊に、足利将軍家へは、種子島に伝来した翌年の天文13年(1544)、種子島時堯によって足利義藤(のちの義輝)に献上されており、いち早く鉄砲装備がなされていたのかもしれません。
しかし、後々の鉄砲の実戦戦術みたく、命中率や狙撃率は確実性があったとは考えられません。
言ってみれば、流れ弾に当たってしまって戦死したというのが本当の事なのでしょうね。
さて、三好方の「きう介」は、「日向守」、すなわち三好
因みに、三好






