現在、CSの時代劇専門チャンネルにて放送中の「
この「十時半睡事件帖」はNHK総合で平成6年(1994)9月から同7年(1995)3月まで「金曜時代劇」の枠内で全23回放送された作品です。
白石一郎氏の原作で、江戸時代後期の筑前黒田藩において要職を歴任し、一度は致仕(=隠居)するも、糟糠の妻の死後、総目付として思いがけず再出仕を命ぜられた十時半睡が藩内で起こった様々な事件に対して、その老練で味わいのある対処を施す―というストーリーです。
主な配役陣として、
- 黒田藩総目付、十時半睡(一右衛門)=島田正吾さん
- 現在、65歳。
- 80石御馬廻組の家に生まれるが、寺社奉行、郡奉行、勘定奉行、町奉行、大目付などあらゆる要職を歴任。禄高は600石を最高としてそれ以上は受けなかった。
- 致仕した際、家禄のうち400石を返上し、残り200石を嗣子の弥七郎に譲っている。(御馬廻組の平均禄高が200石だから…らしい)
- 62歳で隠居後は“半分眠って暮らす”という洒落っ気から「半睡」と号した。
- 隠居した翌年(63歳の時)妻に先立たれる。
- 直後 藩内の職制改革に伴い、再出仕を命ぜられ総目付となる。
- 飛脚問屋・井筒屋の女将、多喜=池内淳子さん
- 十時家の下僕、八助=坊屋三郎さん
- 十人目付筆頭、松原藤十郎=河原崎長一郎さん
- 十人目付、竹田新之助=内野聖陽さん
- 十人目付、寺田勘右衛門=伊藤高さん
- 半睡の遠縁の姪、矢田部絹=羽野晶紀さん
- 黒田藩中老、立花平左衛門=小松方正さん
― ◇ ◇ ◇ ―
さて、「十時」という苗字からイメージが浮かぶのが、戦国時代の立花道雪に所縁のあった人たちです。
例えば、“道雪四天王”の1人、十時摂津守
この連貞はその後、道雪の養嗣子・宗茂にも仕える訳ですが、関ヶ原の合戦の論功行賞で所領没収となって柳川を離れて以降も、陸奥棚倉、そして筑後柳川に復帰するまでの浪人中においても、大坂の陣では大坂衆(豊臣方)の誘いを頑なに拒み通し、主君への節を曲げなかった人物として知られています。しかも、復帰し家老になって後、81歳で島原の乱に出陣しておられるってのは、まさに猛将ですよね。
「十時氏」は豊後国大野荘(大分県豊後大野市北部)にあって、土着の「豊後
戦国末期、その大友氏も立花氏も改易されると、新たに進出してきた黒田氏に請われた「十時氏」の一族もいるようで、筑前黒田藩の家臣として仕官していた事になりますね。
各話のタイトルは、
- 丁半ざむらい
- 逃げる女
- 刀
鉋 ざむらい- 妖しい月
- 合わせて一つ
- 人形妻
- 走る男
- 人まね鳥
- 奉行たちの宴
- 観音妖女
- 千本旗
- 閉門志願
- 庖丁ざむらい
- 楽しい男
- 女たらし
- さむらい志願
- 犬を飼う武士
- 勘当むすこ
- 鴫と蛤は漁師がとる
- 島定番
- 奇妙な仇討ち
- 老乃夢恋道行
― ◇ ◇ ◇ ―
次に、ちょこっと分かる範囲で、活躍中の十時半睡さんの時代背景を考えてみました。
まず、第2話「逃げる女」で目安箱に投書された書状を総目付・十時半睡さん以下、十人目付の方々が目を通す、というシーン―
筑前黒田藩に目安箱が設置されたのが享保18年(1733)の事。
続いて、第3話「刀」で、登場した筑前黒田藩中老・立花平左衛門の存在から―
この立花平左衛門という人物は、筑前黒田藩で代々、家老職を受け継いだ家柄とか…
とある史料を発見!―文化12年(1815)10月、立花平左衛門さんが吉田六郎太夫という人物に、
私儀当冬江戸御留守詰被仰付候処、世帯向不覚悟之次第ニテ、於爰許旅用金難相整、…(中略)…依之奉恐入候得共、当時金子四百両拝借之儀、奉願候と借金の申入れをしています。その時の借金申入書の記載の中に
同歳十月廿九日、立花平左衛門(中老)…(中略)…対談致セシ処との記載ありました。(『立花平左衛門横折』)
ここでいう、立花平左衛門(中老)どうやら、は立花
以上の点から、
目安箱が設置された享保18年(1733)以降で、が十時半睡さんが活躍している時代かな!?と思うのですが、いかがなもんでしょうね!
立花平左衛門が隠居している文化12年(1815)10月まで
白石一郎氏の『十時半睡事件帖』シリーズですが、文庫本として
- 『庖丁ざむらい』
- 『観音妖女』
- 『刀』
- 『犬を飼う武士』
- 『出世長屋』
- 『おんな舟』
- 『東海道をゆく』
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