(トピックス)ワシントン会議で首席全権、加藤友三郎首相の銅像


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安芸広島の下級藩士(家禄13石)の三男として生まれ、藩校「修道館」で学び育った第21代内閣総理大臣加藤友三郎銅像広島市中区基町の中央公園自由広場(広島城の西南側)に完成いたしました。

本体の高さは2・45mで、台座を含めると4・5m。大正10年(1921)のワシントン海軍軍縮会議の際のシルクハットにフロックコート姿が再現されています。

元々、加藤友三郎銅像は昭和10年(1935)に比治山公園(広島市南区)に建立されたのですが、その後戦時中の金属供出で台座を残すだけの様態だったのです。

今年が没後85周年にあたり、加藤友三郎の国際協調による世界平和の具現を称えた姿を再び銅像という形で顕彰しようと多くの市民や企業の募金活動及び寄付金によって復元されました。

台座には「内閣総理大臣正二位大勲位 ワシントン軍縮会議首席全権 加藤友三郎像」の銘板がはめ込まれており、銅像の横には、軍縮への功績などを日本語英語で説明した石碑が建てられています。

― ◇ ◇ ◇ ―

加藤友三郎といえば内閣組閣時にシベリア撤兵ワシントン海軍軍縮条約を履行した人物として評価されていますね。

また、ワシントン海軍軍縮条約アメリカ案の受諾を決意した直後に海軍省宛の伝言を随行員だった堀悌吉中佐に口述筆記させた次の一節が印象にあります―

国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。国家総動員してこれにあたらざれば目的を達しがたし。…(中略)…平たくいえば、金がなければ戦争ができぬということなり。…(中略)…日本と戦争の起こるprobability(可能性)のあるのは米国のみなり。仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に…(中略)…結論として日米戦争は不可能ということになる。国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す
―なかなか的を得た言葉ですね。加藤友三郎がもう10年遅く生まれていたとしたら…(歴史好きな人間として“たら…れば”は禁句ですが)どんな未来が待ち受けていた事でしょう。

しかも、上記の口述伝書は敗戦の日まで海軍省の金庫の中で機密文書として封印されたまま、日の目を見なかったというんですから…何とも憐れな話です。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考文献)豊田穣『蒼茫の海〜軍縮の父 提督加藤友三郎の生涯〜』(集英社)
※(参考文献)田辺良平『わが国の軍備縮小に身命を捧げた 加藤友三郎』(春秋社)


posted by 御堂 at 01:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史:時事
この記事へのコメント
源田実が、ワシントン軍縮会議随員の桑原虎雄中将(兵37)から直接聞いた話として、加藤の隠れた名言を紹介しています。
加藤は血気盛んな対米7割派に対し「明日休暇をやるから、ピッツバーグに行って煙突の数を数えて来い」と一喝したところ、実際に7割派は工業地帯を見学し、おとなしくなったと…。
源田はこのエピソードを「真珠湾作戦回顧録」(読売新聞社昭和47年12月8日初版)、「指揮官」(時事通信社昭和43年5月1日初版)の2作で紹介しています。
日米国力差を分かりやすく示した加藤らしい名言ではないですか?
Posted by 加藤友三郎-知られざる名言- at 2009年03月14日 15:34
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