
スカパーの衛星劇場で「花嫁は16歳。(原題:女子高生の嫁入り)」を観ました。
韓国に伝わる高句麗時代の民話をモチーフにした現代版ラブコメなこの作品。
平凡な高校生活を送るりつつも、タフでサムチャン(=ケンカが上手いという意味)なお転婆な少女・ピョンガン(イム・ウンギョンさん)は、幼い頃から訳もなく涙を流し続ける奇妙な女の子でした。
心配した母親が占い師の許に連れて行くと「悲恋伝説の姫に取り憑かれているから、16歳の誕生日までにオンダル将軍の生まれ変わりと結婚し、1年以内に子どもを出産しなければ死ぬ」と告げられてしまいます。
そんな占いを母親は相手せず、ピョンガンも半信半疑だったのですが、最近妙に災い事が降りかかる感じ―
占いが俄かに真実味を帯び始めたとき、彼女の前にオンダル(ウン・ジウォンさん)という名の転校生が現れます。
何とか彼を射止めようと、あの手この手で必死にモーションをかけるピョンガンですが、なかなか上手くいかない上に、高校生である彼らの結婚は簡単に認められる訳もなく、しかも、ピョンガンの16歳の誕生日を目前にオンダルはアメリカに旅立つことに…
果たしてピョンガンの運命や如何に!?―って感じな2人の、キュートで昔懐かしい純愛ラブコメな作品です。
― ◇ ◇ ◇ ―
さて、この作品のエピソードとして使われた高句麗時代の民話というのが、「馬鹿温達と平岡姫」というもので―
朝鮮半島における三国時代(高句麗、百済、新羅が並び立った時代)、高句麗第25代の平原王の一人娘に平岡姫という美しいお姫様がいました。
平岡姫は幼い頃から泣きべそで、一度泣き始めると宮廷中にと泣き声が響き渡り、誰がどうなだめても泣き止むことがなく、“泣き虫姫”と呼ばれていました。
困った平原王と王妃は、そんな姫をなだめる際に「そんなに泣いてばかりいたら、お前が大きくなったら“馬鹿温達”のに嫁に行かせてしまうぞ」とからかいました。
すると不思議な事に平岡姫はピタリと泣き止んでしまうのでした。
― ◇ ◇ ◇ ―
さて、平原王や王妃が比喩した温達という人物は平壌城の城壁の外側の町に目の不自由な母親と二人暮しで、そんな母親を養うために毎日村に出て行っては物乞いをして暮らしていました。
人々はそのような温達をいつも「馬鹿の温達が来るぞ」と嘲笑っていました。
しかし心優しい温達は怒る様子も見せず、笑いながら通り過ぎてしまうくらい真面目で心が綺麗な人柄だったのです。
そうした“馬鹿の温達は乞食だが心優しい孝行者”という噂が宮廷の平原王の耳にも届いていたのですね。(『三国史記』温達伝)
― ◇ ◇ ◇ ―
歳月が経ち、毎日泣いてばかりいた平岡姫も美しい花盛りの年頃(16歳)になりました。
平原王は平岡姫を貴族の高氏の家に嫁がせようとしましたが、平岡姫は「王様はいつも私に温達の嫁に行かせると、私が幼い頃泣く度にそう仰ったではありませんか。一国の主でいらっしゃる王様は嘘や冗談を言わないものです。私はこれまで王様のお言葉を一度たりとも嘘だと考えた事はございません。それ故、私は他の人とは結婚できません。私は温達の許にお嫁に参ります」と、幼い時から聞かされ続けた“馬鹿温達”の嫁になる、と言い張ります。
激怒した平原王は意志の固い平岡姫に対し、「私の教えに従わないというのなら、私の娘ではない。勝手にしなさい」と平岡姫を宮殿から追い出してしまうのです。
― ◇ ◇ ◇ ―
平岡姫は、小さい頃から聞かされ続けていた平原王や王妃のからかい事に対して、何時の間にか(自分は)大きくなったら、温達の所にお嫁に行くものと思い込み、温達の風貌や人柄を気にかけるようになっていました。
ある時、平岡姫は侍女に温達の事で知っている事を話すようにと尋ねると、侍女は「あの有名な“馬鹿温達”を知らなかったら本当に馬鹿ですよ」と数々の噂を平岡姫に語るのでした。平岡姫の心は、温達への憧憬が一層強まっていたのです。
― ◇ ◇ ◇ ―
「温達は馬鹿ではないわ。目の不自由なお母さんのお世話をする孝行者じゃないの」と呟きながら平岡姫は温達の家に向かっっていくのでした。
人づてに聞いて温達の家を訪れると、家には目の不自由な年老いた温達の母親が1人で居りました。
平岡姫は温達がいる場所を尋ね聞きました。目の不自由な温達の母親は香りの良い平岡姫からの匂いを嗅ぎ分け、訪問者が高貴な身分の方だと感じたのでしょう。温達の母親は平岡姫の手を触って「私の息子は貧しいので、高貴な方とお会いできるような者ではありません。今あなたから格別な香りがします。きっと偉い方に違いないでしょうね」と語りました。
平岡姫は温達を探して山に向かいました。そして、その胸のうちを温達に告白します。温達は驚いて拒絶するのですが、やがて温達も平岡姫の決心を理解し、二人は夫婦となって暮らし始めます。
― ◇ ◇ ◇ ―
温達と平岡姫の結婚生活で、平岡姫は家事や目の不自由な母親の世話など、宮廷では経験した事のない生計を営みますが、心は豊かで幸せな毎日を過ごしていました。
ある時、平岡姫は持参していた金の腕輪や宝石類を温達に差し出します。実は、宮廷を追い出される平岡姫を母である王妃は泣きながら見送った際に王様に分からない様にこっそりと金の腕輪や宝石類を包んで持たせていたのです。
「これらを売って、立派な家と田畑を買いましょう」―
しかし、温達は「苦労しないで得た財産は人を怠け者にしてしまう」と言って、平岡姫に差し返します。
温達は皆が言うような“馬鹿温達”とは違って、温達があまりにも人が良すぎるので馬鹿にされ易かったのだと平岡姫は思うのでした。
しかし、温達は平岡姫の真心に感じ入り、家や田畑、使用人(奴婢)、家畜の馬や牛、そして家財道具も買い揃えました。
温達は田畑での労働や家畜の世話などを一生懸命働きます。
ある日の事、「あなたに今必要なのは読み書きを習う事です」と言い、平岡姫自身が温達に文字の読み書きを教え、習得させていきます。
こうして温達は、昼は田畑の開墾に精を出し、夜は勉強に努めるという日々が続きます。
温達がある程度文字の読み書きが習得できるようになると、平岡姫は温達に「あなたは、農業をする人ではありません。武芸を習ってください」と言い、鍛錬に励ませます。
またまた温達は、昼は剣術や弓術、狩猟、やり投げ、乗馬などの武術を習わせ、夜は勉強という日々が続きます。
そうこうするうちに、温達は体格も頑丈になり、武術の鍛錬もよく行ったために武人としての才覚が備わっていきました。
ある時、平岡姫は温達に馬を買ってくるように言いました。その際に「市場で出回っている馬は買わずに、宮廷から使い道がないと払い下げられた馬を買ってください。そして、その中でも病気になってやつれた馬を選んでください」と注意を与えます。
そうして買った馬も大事に真心を込めて世話をしたので、日増しに太り、丈夫で立派な軍馬に仕上がったのです。
― ◇ ◇ ◇ ―
数年経ったある日、狩猟大会と武術大会の開催の知らせを聞き、温達は参加して素晴らしい実力を発揮します。
高句麗では毎年3月3日に狩猟大会と武術大会が催されていて、そこには王族をはじめ臣下の者や兵士らも列席、参加するのです。
温達は誰よりも速く先頭を走り、も参加して一番多くの獲物を捕らえたので、平原王の目に留まりました。
平原王は温達を呼んで名前を訊ね、彼があの“馬鹿温達”だと知って驚きます。そして、温達を高句麗の将軍に任命します。
中国・後周(=北周)の武帝が高句麗の領土である遼東を攻撃してきた時、温達は高句麗軍を指揮して大きな勝利を収めます。平原王は大変喜んで、正式に平岡姫と温達の結婚式を挙げさせて、温達を娘婿に迎え、「大兄」という高い官職に授けます。温達は優れた武芸と戦争での功労が認められ、身分の壁を越えて新しい政治勢力の代表になったのです。
宮廷を追い出されて温達の許に行った平岡姫もやっと平原王や王妃と再会する事が叶いました。
― ◇ ◇ ◇ ―
実際のところ、平原王の治世下での政治的状況は非常に複雑で、平原王の祖父の時代から貴族勢力の抬頭で王権は弱くなり、貴族の権力が強くなります。こうした状況から王権を強化するために平原王は貴族勢力を牽制するための新興政治勢力を必要とし、登用しました。
その結果、新しい政治勢力が生まれ、温達はその第1世代の代表的人物だったといえますね。
平原王の死後、嬰陽王が即位した590年。温達は高句麗の総司令官として新羅との戦いに臨みますが、阿且山城での戦いの中、温達は新羅軍の矢を受けて戦死してしまいます。
高句麗の軍使たちは悲しみながら温達の遺体を棺に入れて宮殿へ運ぼうとしました。ところが不思議な事に何人がかりで動かそうとしても棺はびくともしません。
失った領土を回復しようと戦いに臨んだけれどそれが果たせなかったという情念のためなのか、温達の遺体を入れた棺が地面にくっついて動かせなくなったのです。
結局、平岡姫が峨旦城まで来て、涙を流しながら「死ぬ事は天が定めた事なのですから、もうお戻りください」と話しかけると、それまでびくともしなかった棺が動いたのです。
この温達と平岡姫との美しい恋物語、そして“馬鹿温達”ではなく高句麗の英雄としての温達将軍は、現在も韓国の歴史の中で生き続けているのです。
― ◇ ◇ ◇ ―
番組の最後でピョンガン(イム・ウンギョンさん)とオンダル(ウン・ジウォンさん)の娘として、ナンランちゃんが登場しますが、こちらも民話の「好董王子と楽浪姫」のエピソードネタでしたね(笑)
こちらもドラマ性十分ですしね!(しいて言えば『風の国』!?)
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