(史料紹介)日本最古の「三行り半」

越前町の民家に残されていた国内最古の離縁状で、「去状之事」と題して三行半で内容が綴られ、6行目の「貞享三年」以降は日付や名前などが記してある

江戸時代、庶民が離婚する際に夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付された、離婚を確認する文書を離縁状(離別状)、あるいは去状さりじょう暇状いとまじょうと言いました。

また、文書の内容を3行半で書く習慣があったため、俗に三行り半みくだりはん(三下り半)」という俗称があります。その3行半の構成は、前段で離婚文言を述べ、後段で再婚許可文言を述べる、といったものでした。

福井県越前町の民家に代々保存されていた江戸時代の書状が、これまで国内で確認された中では最も古い離縁状である事が福井県文書館の調査で分かりました。

この書状は同館が所蔵している玉村九兵衛家の古文書類から発見されたもので、去状之事さりじょうのことという表題がある江戸時代前期の貞享3年(1686)に書かれた離縁状、すなわち「三行半」の書状でした。

これまで最古とされてきた離縁状は、山梨県南アルプス市で発見されていた元禄9年(1696)のもので、それよりも10年早く、確認された離縁状の中では最古との事です。(ただし、この離縁状は3行半ではなく5行で書かれていました)

発見された離縁状は、現在の福井県越前市に当たる国兼村の次兵衛が中津原村に住む妻のお滝と同村の村役人を務める、義父の三郎兵衛に宛てたもので、原本を示す判がない事から、控えとして書き写されたもののようですが、縦29・1cm、横36・5cmの和紙に「今後、誰と縁組しても、全く構わない」との内容が認(したた)められ、「貞享三年(=1686)十一月廿一日」の日付があります。

江戸時代離縁状を研究されておられる専修大学の高木侃教授が調査・確認されたのですが、「京都を中心に3行半で書く形式が整い、全国に広まったとされている。今回、福井で見つかったものが山梨のものより10年古いにも拘らず
3行半だった事は、書式が関西から関東に広まった事を裏付けるもので貴重」と話されています。

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貞享3年(1686)11月21日「去状之事」(『玉村九兵衛家文書』)

    去状之事
 一我等女自今以後何方江ゑん
  へんニ付候共、又ハ何様之義
  有之候共毛頭かまい無之候、
  仍而去状如件
   貞享三年    国兼村
     寅ノ     次兵衛 判
      十一月廿一日
     中津原村
        三郎兵衛殿
       同娘
        お滝との

この離縁状は9月15日まで同館で一般公開されています。最終日の15日には高木教授による「三くだり半の世界」と題した講座が催されるとの事。問い合わせは同館まで。


  

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