7月17日、今年も祇園祭の山鉾巡行が終りました。そして、夕刻には八坂神社から東
17日の催された山鉾巡行は、いわば神幸祭の露払いの役目を担う。巡行した山や鉾が掃き清めた後に神輿が通過するのだ。
何故、寺町四条に御旅所があるのかというと、その昔、四条大橋は常置されていなかった。(三条と五条には常置されたいたが…)そのため、鴨川以西に居住する八坂神社の氏子たちにとっては1週間という短い期間であっても御旅所に神輿が鎮座されるのは有り難い事だったのです。
神輿は1週間後の24日まで鎮座され、今度は“祇園町の祇園祭”と呼ばれる花傘巡行によって掃き清められ、八坂神社に還幸される。(還幸祭)
さて、神輿が御旅所で安置されたその夜から祇園町に伝わる芸妓さん・舞妓さんらの古くからの風習に“無言参り”というのがあります。
24日に神輿が八坂神社に還幸されるまでの七日七夜、御旅所にお参りし続け、その往復の道中にたとえ知人と会っても挨拶も会話もしてはいけない―必ず「無言」を貫くという願掛けです。
かなり厳しい風習ですね。でも、必ず願い事が叶うと伝えられているので、熱心に詣でる人も多いようですよ!
― ◇ ◇ ◇ ―
※(参照)「祇園祭どすえ!」→○
※(参照)「祗園(御霊)会」→○







コメントとトラバありがとうございました〜
私のブログの返信コメントのほうにも書かせていただいたのですが・・・
先日やってた『日本人の常識クイズ』的な番組・・・山鉾巡行が終った後の祇園祭はつまらないので、『あとのまつり』という言葉が生まれて、「時すでに遅し」みたいな状況を『あとのまつり』と言うようになったなんて言ってまして、ちょっとヒドイ!言い方だなと思いました。
御堂さんが書いていらっしゃるような山鉾&花傘巡行の意味や、7月末日までの祭りの流れを知っている京都の人が「あとのまつりはつまらない」と思うとは考えられないような気がします。
確かに番組内では「諸説ある」と言ってましたが、もし、本当に『あとのまつり』が祇園祭から生まれた言葉だったとしても、「つまらない」からではなく、別の意味だったと思います。
明らかに祇園祭の事をあまり知らない東京人目線の解説だと思いましたが・・・。
東京人の目線というか、京都人以外の目線…はなかなか説明できないし、上手く伝わらないかもしれませんね。
たとえば、金閣や東西本願寺のようなきらびやかさを好む人には、“本当の京都”の象徴である龍安寺や慈照寺などの禅寺にみられるような“侘び寂び”の境地を感じる、といった精神性は望めないでしょうし、そこは十人十色の世界なので一概には言えないところです。
>山鉾巡行が終った後の祇園祭はつまらないので、『あとのまつり』という言葉が生まれて、「時すでに遅し」みたいな状況を『あとのまつり』と言うようになった
確かにひどい説明ですね。僕もブログの方で書きましたが、
祇園祭は、元々17日が先の祭りとして、24日が後の祭りとして、山鉾巡行が2度に分けられて催されていたのですが、私的な事情から(京都府警さんらが2度の出動はいややという…笑)17日の1日1度きりに変わってしまったわけです。それが昭和41年(1966)のお話―
それで、無くなってしまった後の祭りの山鉾巡行の代わりに花傘巡行が始まったわけです。
それ故に、語源だけで祇園祭が由来―と決め付ける事はできないんですよね。(まぁそういう場合の逃げ口上としての「諸説あり」でしょうけど…笑)
>2度の出動はいややという…笑)17日の1日1度きりに変わってしまった・・・それが昭和41年(1966)・・・
・・・って事は、番組の説のままだと、『あとのまつり』という言葉は、昭和四十一年以降に生まれた言葉という事になってしまいますね〜ますます混乱します
それ以前には、使われていなかったんでしょうか?
まぁ、先日の「Qさま」でも、「武田氏が滅亡した戦い=長篠の戦い」という問題で、何の訂正もなく、そのままスルーしちゃいましたからね〜
テレビの情報にも気をつけなくては・・・といった感じでしょうか・・・
いろいろくわしく聞かせていただいて、ありがとうございました<(__)>
>テレビの情報にも気をつけなくては・・・
確かにそうかもしれませんよ!たとえば、新聞記事だってそう!!
何年か前、大坂城の惣掘跡から人骨が見つかった時の事。その人骨の説明が記事に掲載されていたんですが、某紙は「豊臣方の…」、また某紙は「徳川方の…」とありました。どちらか一方だけしか見てないとすれば、偏った情報に左右されるのは当然ですよね。
テレビもそう!いかにも決め付けたかのように説明してくるから、信じてしまうのは当然かもしれません…